『セールスマン』の恐るべき展開
イランのアスガー・ファルハディ監督は、テヘランの比較的裕福な都会人の群像を描きながら、社会や人間の闇を浮かび上がらせる名手だ。とりわけ中盤からの過激な展開にいつも驚く。6月10日公開の『セールスマン』もまた、その期待を裏切らなかった。
実はこれも去年のカンヌのコンペで見ていたが、その時はこれまでの『別離』などに比べたら切れ味が悪いように思えた。脚本賞と主演男優賞はほめ過ぎに見えた。
ところが今回落ち着いて見直すと、これまで以上に深化した映画だと感じた。主人公はテヘランの高校の国語の先生で、妻と共に小劇場で俳優をしている。冒頭、舞台のシーンが写った後に、騒音や大声が響き、古い高層アパートから追い出されるこの夫婦が見える。
隣の工事のせいで建物が倒壊の危険があるとの理由だが、2人は劇団仲間にアパートを紹介してもらう。そこには前の住人の女性の荷物が残されていたが、とりあえず引っ越す。ある日、夫が授業を終えて帰ってくると、シャワーに大きな血痕があり、妻は病院に運び込まれていた。
ここから2人のドラマが始まる。妻は警察に届けることを拒み、すべてを忘れようとする。夫は何とか自力で犯人を探し出そうとする。教え子の元警官の父親の助けを借りて犯人にたどり着くが、そこから驚くべき展開が巻き起こる。
2つの「恥」がある。事件を「恥」と考えて、劇団の仲間にさえ知らせようとせず、警察に行かない妻。そして犯人はその犯罪が家族に知られることを「恥」として、何としても逃れようとする。
見ていると何度も「なぜ警察に届けないのか」と考えるが、世界には日本のように警察がきちんと機能している国の方が少ないだろう。日本だって、強姦事件を届けない例は多い。犯人の「恥」は、映画を最後まで見てもらえればわかるが、誰にとってもとんでもなく大きい。
この映画が見ていて恐ろしいのは、音のドラマとして作られているからだろう。隣の工事の音に始まって、絶え間ない周囲の車の音。ドアの呼び鈴、ドアを開ける音。電話の鳴る音。救急車のサイレン。すべてが夫婦を脅かす音として不気味に響く。
夫婦が演じているのはアーサー・ミラーの「セールスマンの死」だが、そのセリフの内容が夫婦にも犯人にもどこか当てはまるのは、今回日本語字幕付きで見てわかった。今回の「深化」は、この舞台との同時進行の巧みさによるだろう。
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