高峰秀子の『ヨーロッパ二人三脚』
女優の高峰秀子は文章がうまかった。それは『わたしの渡世日記』を読めばすぐにわかるが、今回読んだ『ヨーロッパ二人三脚』は彼女の死後発見されたもの。2、3年前に単行本が出たのは知っていたが、今回文庫になったので読んでみた。
1958年に『無法松の一生』でベネチア国際映画祭に行った後に、夫の松山善三と半年間パリを中心にヨーロッパを回った時に書かれたものだ。発表を前提にしたものかわからないが、文章がこなれているのでたぶん公表の予定だったのが、そのままになったものだろう。
ベネチアで驚くのは、夜のパーティ。「日本側のレセプションで十二時半からエンエン三時まで、ニコニコしていなければならず大へんだった。/三百人へ出した招待状に四百五十人ものお客がつめかけて、けんかも二、三度ある程で大いに日本の人気があることがわかる」
夜の12時半からのパーティは今では考えられないし、300人の招待は、今やベネチアはもちろんカンヌでもないだろう。見事に金獅子を受賞してからの夕食も夜の12時半から。「松山ともしみじみ話したが、この何百人の中でいち番ビンボウなのは私たち夫婦だね、借金して、外国へ来てるとは誰も思わないね、と、タメ息をつき、二人で大声で笑った」
このあっけらかんとした明るさが、この本の全体に漂う。パリの日本大使館で日本食をご馳走になっても「不味い日本食より、私たちにどうして最上のフランス料理を食べさせないのか不思議である」と書く。これは今でもよく聞く話だが。
おそらく生きていたら、出版前に削っていたのではと思う箇所もある。「歩いていたらとつぜんうんこをしたくなってくつやへとびこみ、スリッパを買って便所を借りる。高い便所代についた。/帰ってスリッパみたらあまり気に入らぬ。ああハラが立つ」。
スペインからフランスへの列車では「フランスの方が汽車もよく、ゆれないのでぐっすりねた。せんめんきにオシッコ」。公園で有料トイレに行った時は「公園でうんちしたくなって二十フランふんぱつした」
とにかく金がない。「朝食のパン二つとっておいて外へ出て、ソーセージを買い、きれいなカフェでコーヒーだけとって、ナイショで喰べる。そのむつかしさ、情けないことになった」。こんなことまで平気で書くのがこの女優らしい。
注にひとつ間違いがあった。「プスプス」は12月9日には「小型三輪車のような乗り物か?」、3月2日には「二月十日にあるガラのテレビ番組か?」と書かれているが、これは仏語のpousse-pousseで人力車。『無法松の一生』の仏語公開題がL'homme au pousse-pousse=「人力車(プスプス)の男」ということさえ知っていれば間違うはずはない。養女という女性の勉強不足か。
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