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2017年6月 1日 (木)

ダヤニータ・シンの写真に吸い込まれる

東京都写真美術館で7月17日まで開催の「ダヤニータ・シン インドの大きな家の美術館」展を見た。名前を初めて聞くインドの女性写真家だが、吸い込まれるような魅力があった。冒頭の《マイセルフ・モナ・アハマド》で、男なのか女なのかわからない1人の人間が、時間をかけて撮られている。

解説によれば、去勢された男性、モナ・アハマドを13年間にわたって撮ったものだという。次の《第3の性》も去勢された男たちを撮る。彼らに取り囲まれている美少年。かと思うと《私としての私》では、僧院で暮らす少女たちが写っている。

欧米とは異なる性の世界のとらえ方だが、全体に力強く優しい。それから「ミュージアム」シリーズが出てきた。これは写真を使った一種のインスタレーション。《ミュージアム・オブ・チャンス》(2013)には、大きな箪笥のような家具に、たくさんの写真が埋め込まれている。そこには風景や室内、インドの人々、映画の1シーン(イタリアのジュリエッタ・マシーナが出た映画もあった)などがある。

このコンパクトな家の方式で、いくつもの作品が作られている。《リトル・レディーズ》(13)は小さめだが、女性たちの写真が時代を超えて写っている。その中には写真家もいる。インドの女性たちの濃厚な時間が刻印されている。

《セント・ア・レター》(07)というのは、ミュージアム・シリーズを始める前に、自分が撮った写真を蛇腹折りの本にしたもの。このシリーズでも、自作のアーカイブ化と写真集にこだわらない自由な発表方法が感じられる。

「ミュージアム・シリーズ」で一番おもしろかったのは、《ファイル・ミュージアム》(12)。そこには、膨大な書類=ファイルを前にして途方に暮れる人々が描かれていた。その家具に一つには、こう書かれていた。

「ファイルの王国においては、この戦いは善か悪かではない。秩序か混乱かだ」。書類の山を前にした人々を撮り、それを「ミュージアム」という形で展示する。2重、3重のアーカイヴ化が生まれ、人類の記憶が重なり合う。ダヤニータ・シンの洞察の深さを思い知らされた。

そのコンセプトの強度に比べたら、「いま、ここにいる」と題された現代日本の写真家たちの作品は、どうしても底が浅く見える。今風のクールな風景や人々を撮っているだけに見えた。これが本当に今の日本の若手写真家のトップクラスだとしたら、ちょっと心配になってきた。

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