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2017年6月27日 (火)

困ったお客さんの話:その(2)

(前の続き)東大生が犯人だとわかった私は、「なぜそういうことをしたのか」と聞いた。すると「見たい映画を見るためには何でもする、みたいな感じで」と答えた。「それは蓮實重彦先生の教えか」と聞くと「そうではないけど」と口をつぐんだ。

確かに「今すぐ映画館に向かって走り出さねばならない」といった蓮實さんの言葉には、そういう無茶ぶりがあったかもしれない。私は「これを企画、運営している人々のことを考えないといけない」と諭したと思う。彼らの中には今は大学の准教授になった者もいるが。

ほかにお客さんをよく覚えている映画祭は、その2年後、つまり98年の「アニエス・ベーは映画が大好き」という企画。これは「日本におけるフランス年」の企画で、アニエス本人に好きなフランス映画を選んでもらって上映するというものだった。私がフランス側に提案して始まった企画だったが、彼女も記者会見にやってきた。

たしか全作品券を買うと、その記者会見にも出られるという特典をつけていた。東京日仏学院(なぜ「アンスティチュ・フランセ東京」と改名したのか)の会見に来たファンの若い女性は、アニエスさんが到着する姿を見て、泣き出してついには気を失ってしまった。

この映画祭にはほかにも変わったお客さんがいた。アラン・ドロン主演の『サムライ』を上映した時、真っ赤なパンタロンを履いた派手な格好の女性がいた。60歳過ぎくらいだったか。上映前に受付にやってきて、「昨日、アランと電話で話したら今日のことを喜んでいたわ」

本当にお知り合いかと思ったが、上映後に同じお客さんが長い間公衆電話を使っていた。ほかのお客さんもいなくなったので、「会場の外にも電話はありますので」と言いに行くと、彼女は「メルシー!」と電話を切った。「アランに今日の上映が大成功だったと伝えていたのよ」

確かにアラン・ドロンは1970年代の日本では本当に有名だった。小学生から中学生の頃の私はその熱狂をよく覚えている。しかしそれが20年以上たってもその人気がまだ健在だったのには驚いた。

その前年にやった「韓国映画祭1946-1996」では、詳しいお客さんが、カタログの間違いを指摘してきた。韓国語もできる方で、間違いを30カ所くらい書いたA4の紙を持ってきて、それをカタログの横で売りたいと言われた。それは困るので、専門家に相談してそのうち明らかな誤りを5つくらい書いて、カタログに挟み込んだ。この男性は、それでも会場の外でA4の間違い集を売っていた。

映画は、時には常軌を逸した情熱を生む。

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