« 『美しい星』の不思議な魅力 | トップページ | 『夜明けの祈り』の巧みさ »

2017年6月 3日 (土)

たまに日本の政治を考えると

新聞や週刊誌を読んで、「そうだ」と頷くことがたまにある。そんな「小さな納得」が最近の『アエラ』にいくつかあったので書いておく。東浩紀氏は、無茶苦茶な安倍政権がなぜ続くかについて、「政権交代可能な現実的野党はなく、自民党内にポスト安倍の候補もいないからだ」と書く。

「そして国民はその状況に慣れ始めている。共謀罪だろうが改憲だろうが、首相がやるといったらやるのだし、それは止められないと感じ始めている。これはおそろしく不健康である。しかしこの状況はデモやワイドショーでは変えられない。「安倍以外」の選択肢が出ないことには絶対に変わらないのだ」

この「止められない」という感覚は、まさにミシェル・ウェルベックが近未来小説『服従』で描いた世界。おかしいとは思うが、これは誰も止められないと思って、とりあえずお金のために「服従」する。日本でこれを破るには、新しいヒーローが出ないと無理だというのが本当だとすると、なお悲しい。

たぶん小池都知事は、そんな役割を少し果たしているのかもしれない。いつまでもつかわからないけれど。さて次に来る可能性のある人は誰なのか。これは難しい。私は、菅直人とか猪瀬直樹が首相や都知事になった時に期待していたくらい、政治家に対してはナイーブ。個人的には佐藤優とか高橋源一郎とかいいなあと思うけど、彼らも政治家になったらダメなのだろうか。

「ぐっちーさん」という投資コンサルタントは、「日本のエリートたち(東大などを卒業した高学歴の人たち)」について、「彼らこそが日本のために前面に立ってリスクを負わなくてはならないのに、そういう人たちに限って、役所や企業の上層部にいて、自分だけ常に安全地帯にいられるように動き回っている印象が非常に強い」と書く。

「税金の配分を決める役人には、利益を出すシステムや苦労を知っている人がいない」。これと同じことが1980年に彼が仕事をしていたソ連で起きていたという。「スーパーエリートたちが何の経験もないままに知識だけで国家を統制することに専念していたら国がつぶれてしまった」

政治家になることは、官僚や大企業幹部であることに比べたら、何倍もリスクを取ることだと思う。しかしその世界は、二世、三世が中心になっている。リスクを取らないエリートとボンボンの世襲議員が日本を動かしているというのが、われわれの悲劇か。たまに日本の政治を考えると、本当に気が重くなる。

|

« 『美しい星』の不思議な魅力 | トップページ | 『夜明けの祈り』の巧みさ »

日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/537538/65346844

この記事へのトラックバック一覧です: たまに日本の政治を考えると:

« 『美しい星』の不思議な魅力 | トップページ | 『夜明けの祈り』の巧みさ »