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2017年7月 6日 (木)

『三里塚のイカロス』に考える

カメラマンの故・大津幸四郎氏の遺作となった『三里塚に生きる』(2014)の共同監督を務めた代島治彦監督が、続編として『三里塚のイカロス』を完成した。9月に公開されるというので試写を見たが、前作同様に、深く考えさせられた。

前作は、三里塚でかつて戦った農民の現在を描いていた。今も移転を拒む農民がいるが、多くは移転して大きな家に住んでいた。

今回は農民でなく、外から「支援」に来た学生や活動家のその後を描く。一番驚いたのは、農家に嫁いだ女子学生が何人もいたこと。お茶の水大学に通っていた恵美子さんは、69年に辺田部落の農家の長男と結婚する。「週刊新潮なんかにひどいことを書かれました。新聞なんか信用できなくなった。私は私ですけど」

東京学芸大学の深雪さんは68年から前田家の「援農」をしていたが、69年に佐藤訪米阻止闘争で逮捕され、1年以上拘置所にいた。そこに見舞いに来た前田氏と71年に結婚する。「ポケットに石を入れていたら捕まったんですね」

広島県で臨時教員をしていた元中核派の秀子さんは、なんと84年に北原派の農家に嫁いでいる。84年といえば、私が成田から初めてパリに行った年だ。それから羽田を使い始める最近まで何十回となく成田から発着していたが、その間も小さな闘争は続いていたのだ。

彼女たちが苦しむのは、1990年代後半に夫と共に三里塚を捨てて「移転」したとき。秀子さんは全国から脅しをかけられ、「裏切者」と言われた。「これはあまり言えないというか、ずっと封印です」。恵美子さんは夫の判断に納得できなくて、1年近く別居した。何度か出た恵美子さんの夫の腕にはローレックスの時計(たぶん)が光っていた。

闘争が終わり、「支援」の男たちはどんどん去っていったのに、なぜ女たちは嫁いでそのまま残ったのだろうか。女性の方が一途だっただけではないだろう。日本の社会を象徴する何かがそこにある。

ほかに出てくるのは管制塔を占領した3人の元活動家たち。元国鉄下請け労働者の中川さんが、この映画の撮影を偵察に来た機動隊の若者をからかうシーンなどは抜群におかしい。あるいは用地買収を担当して、自宅を爆破された空港公団の元職員。81年から現地の中核派を指導した責任者。

男たちの発言も興味深いが、どうしても「おれたちはがんばった」という「美しい過去」に見える。それに比べて今も辺田部落に通って農業を続ける恵美子さんを始めとして、女性たちの姿は現在形であり、より力強く見えた。

おそらく、沖縄の基地移転問題も、福島の原発問題も、この映画で描かれた三里塚のように、これから長く長く引きずるのではないか。その意味でも現在の日本を考えるうえで必見の映画である。

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コメント

偶然とはいえ、2度も偵察してくれた機動隊の若者に感謝しております。

投稿: 中川 | 2017年7月 7日 (金) 13時52分

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