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2017年7月14日 (金)

『からゆきさん』を見た

木村荘十二監督の『からゆきさん』(1937)を見る機会があった。「からゆきさん」とは江戸末期から明治、大正にかけてアジア各地に売られた日本人娼婦のことで、九州出身者が多かったという。

この映画は明治39年、夜中に5、6人の娘たちが船に積み込まれて、沖合で外国船に乗せられる場面から始まる。外国人は日本人が演じているが、「カモン」「ワン、ツー、スリー、フォー」という声が聞こえてくる。

それから大正7年、つまり12年後に船で故郷に向かう母子が写る。子供はハーフのようだ。「最近は、からゆきさんは減ったねえ」とか「故郷はからゆきさんには厳しかよ」という船員の言葉も聞こえてくる。

故郷の波無村(島原と思われる)に戻ったおゆき(入江たか子)は、シンガポールから持ち帰ったお金で家を建てて息子のアントンを育てる。近所には同じ元からゆきさんたちが住んでいる。これから香港に行く女もいれば、お金があって普通に嫁入りする娘もいる。

村では公会堂が火事で焼け落ち、その建設費用を羽振りのいいおゆきに負担させようと村の男たちは考えた。兄(丸山定雄)に頼まれたおゆきはいったんは断るが、息子が村人たちから信頼を得る為にと考えて2000円を出す。

一方でアントンの亡くなった父の兄が訪ねてきて、アントンをイギリスに引き取って育てたいと提案する。おゆきは断るが、その男は2か月後にやってくると言い残して去る。

公会堂はおゆきの寄付ででき上り、その落成式にはおゆきの代わりにアントンが感謝状を受け取ることになる。ところが授与式では村人が「からゆきー」と騒ぎ出し、その混乱を収めるために余興の映画「実写 南洋の生活」を上映すると、「これがからゆきやろ」とさらに騒ぎは広がる。

スクリーンに物を投げる人々。舞台袖で息子の晴れ姿を見ようと思っていたおゆきは、みんなの前で「あんたたちは人間じゃなか、うじ虫よ」と言い放つ。手にした十字架のペンダントを引きちぎりながら。

ほうほうの体で息子を連れて逃げ出したおゆきは、「偉くなった姿が見たい」と息子を英国に送る決心をする。アントンの出発の日、からゆき仲間たちは船を出してアントンを見送るが、おゆきは家の窓に立つ。

貧しい家の娘たちが売られて、アジアの外国人相手の娼婦や愛人となる。そして金を貯めて故郷に帰るが、そこでも差別を受ける。世界の植民地主義と日本の封建制度が結びつき、貧困家庭の女性が犠牲になり続ける。この映画はその構造を正面から描いた力作である。

上映時間が59分で、全体に寸詰りな印象を受ける。シンガポールの街を見せるのはお金がかかるにしても、せめて最初の売られてゆく娘たちの場面は、もっと細かく描いてあればなおよかったと思う。ソフト化されておらず見る機会の少ない映画なので、今日はあらすじを細かく書いた。

この映画には強烈な長崎弁が使われているが、福岡生まれの私にさえも難しかった。わずか80年前の映画だが。

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