ヌーヴェル・ヴァーグの功罪:その(4)
山田宏一さんが川喜多賞を受賞されるというので、久しぶりに彼の『友よ映画よ、わがヌーヴェル・ヴァーグ誌』を読んだ。かつて単行本で読んでいたが、手元に平凡社ライブラリーの増補版があったので、あちこちに持ち歩きながら分厚い文庫を読み終えた。
昔読んだ時は、トリュフォーやゴダールやユスターシュなどと友達のように会って、仲良くしている記述が本当に羨ましかった。今回読むと、彼らを含めたヌーヴェル・ヴァーグの人々の言葉が映画史に見事に呼応していてびっくりした。
例えば、メルヴィルの『海の沈黙』(1948)はヌーヴェル・ヴァーグの先駆的作品と位置付けられているが、その撮影を担当したアンリ・ドカの話でそれが裏付けられる。
「初の長編劇映画の撮影ということで大いに張り切っていたところ、ひどい条件で、たとえばネガフィルムはエマルジョン・ナンバーがそろっていないものばかり。全部、メルヴィルがあちこちのプロダクションから払い下げてもらった残りフィルムの寄せ集めでした」
「それで全体をできるだけ暗いトーンにしたのです。明暗やコントラストのはっきりしない、薄明や薄暗のトーンですね。それが、たまたま、メルヴィルの「暗黒映画」(フィルムノワール)のトーンにぴったりだったのです」
「いっさいの制約なしに、法的な許可なんかとらずに、すべての映画的な文法や法則を無視して、撮ったのです。同じ原理をヌーヴェル・ヴァーグが採用したのだとと言えます」
そしてドカはルイ・マルの『死刑台のエレベーーター』や『恋人たち』、シャブロルの『美しきセルジュ』や『いとこ同士』、トリュフォーの『大人はわかってくれない』の撮影を立て続けに担当する。そしてメルヴィルは『勝手にしやがれ』に出演する。彼はこう言った。
「ヌーヴェル・ヴァーグとは映画を経済的に作る一方法にしかすぎない」「ヌーヴェル・ヴァーグなんてスタイルは存在しない。もし存在するとしたら、ゴダール・スタイルのことだ」
ピエール・ブロンベルジェは戦前からジャン・ルノワール作品を製作していたが、リヴェットやレネに短編を撮らせたことでも知られる。そしてトリュフォーの『ピアニストを撃て』やゴダールの『女と男のいる舗道』などを製作した。
「ヌーヴェル・ヴァーグの出発点は1949年にカンヌ映画祭に対抗して催されたビアリッツの「呪われた映画」のフェステヴァルだ、とブロンベルジェは言った。/コクトーを中心にしたシネクラブ「オブジェクティフ49」の主催で開かれた映画祭です」
ここにはコクトー、バザンを始めとしてアストリュック、トリュフォー、ロメールなども参加していた。ブロンベルジェはそこで彼らと会う。そういえば最近の『週刊読書人』にヌーヴェル・ヴァーグと同世代の映画評論家ジャン・ドゥーシェの連続インタビューが掲載されているが、彼もトリュフォーやロメールやバザンと知り合ったのは1949年のビアリッツだったと述べていた。
ヌーヴェル・ヴァーグが本格的に知られるのは1959年からだが、その10年前から世界は動いていた。ところでこの文庫本には「寄贈 著者」の細い紙が挟まれていた。きちんとお礼をしたか、自信がない。
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