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2017年7月30日 (日)

ヌーヴェル・ヴァーグの功罪:その(5)

ヌーヴェル・ヴァーグを語る時に、ちょっと困るというか、今では扱いにくい監督がいる。ロジェ・ヴァディムとルイ・マルだ。ヴァディムの『素直な悪女』(1956)は、ヌーヴェル・ヴァーグの監督たちがまだ短編も撮っていなかった時期に発表されて、トリュフォーが絶賛した。

28歳のヴァディムが22歳の妻のブリジッド・バルドーを主演にした第一回監督作だが、今見てみると意外に保守的に見える。出だしから肉体を誇示するバルドーが強烈だが、セットも多く演技も演出もヌーヴェル・ヴァーグ的な新しさは感じない。ヴァディムはイヴ・アレグレなどの助監督を経ているから、伝統的手法が身についていたのかもしれない。

同じ年の「レクスプレス」誌11月号で「ヌーヴェル・ヴァーグ来たる」という特集が組まれる。これは映画というよりも、文化、ファッション、風俗などに新しい波が来た、とした調査結果だが、ヴァディムの内外でヒットしたこの映画は、いかにもアメリカ風でまさに描かれた風俗として新しかったと言えよう。

それに比べると翌年25歳のルイ・マルが監督した『死刑台のエレバーター』は、スタイルとしてずっと新しい。冒頭の「もうダメ、愛してる」というジャンヌ・モローのアップは新鮮だし、それが男女の電話での会話だとわかる運びも巧み。

物語は、社長夫人のフロランスと恋をした男ジュリアンが、社長を殺す完全犯罪を企てるが、思わぬ展開が待っているというもの。エレベーターに閉じこまれたジュリアンのサスペンスが最後まで緊張させるし、彼を探しながら夜のパリを彷徨うフロランスの姿とそこにかぶさるマイルス・ディヴィスの即興演奏のジャズが効いている。

撮影はメルヴィルの『海の沈黙』などで注目されたアンリ・ドカ。その後、トリュフォーやシャブロルの映画を一気に引き受ける前にルイ・マルが使っている。夜のパリを駆け巡るシャープな映像が目を引く。さらにフロランスを演じるジャンヌ・モローはトリュフォーを始めとして、まさにヌーヴェル・ヴァーグの女優だ。

私の学生に見せると、だいたい『死刑台のエレベーター』の方が『大人はわかってくれない』や『勝手にしやがれ』よりもおもしろいという。確かに完成度は高いだろう。ある意味でずっと完璧でトリュフォーやゴダールの第一回監督作のような破綻がない。

ルイ・マルは国立映画学校卒で、在学中に海洋学者クストーと『沈黙の世界』を共同監督している。映画学校に行かず、批評を書くことから映画に近づいたトリュフォーたちとは大きく違う。そのせいか、今ではヌーヴェル・ヴァーグの監督としてはあまり取り扱われない。トリュフォーと同じ年に生まれたにもかかわらず。

個人的には、ヌーヴェル・ヴァーグの影に隠れた形のルイ・マルの再評価が必要だと思う。

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