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2017年7月20日 (木)

『笑う故郷』の複雑な魅力

9月16日公開のアルゼンチン=スペイン映画『笑う故郷』を見た。昨年のベネチアで主演男優賞を取った映画で、そこで見ていた。原題は「名誉市民」でその後の東京国際映画祭でもこの題名で上映されたが、今回2度目に見るとずいぶん違って見えた。

最初に見た時は、巧みな語りのオーソドックスな物語だと思った。アルゼンチン出身の小説家がノーベル文学賞をもらうシーンに始まり、20年後の話になる。

バルセロナの瀟洒な住宅に住む彼のもとに世界中のあらゆる組織から講演会や勲章の授章式の知らせが来るが、彼はそれらを可能な限り断る。ある時、40年以上帰っていないアルゼンチンの小さな町サラスから名誉市民の知らせがあり、なぜか秘書なしでで行くことに決める。

そこでは田舎特有の歓迎があり、さまざまなお願いをされたり、反発を食らったりもした。映画は、有名人となった男の故郷での悲喜劇を巧みに見せてゆく。最初に見た時はそんな印象を持った。

ところが今回は日本語字幕のおかげもあって、ずっと辛辣な物語に見えた。そもそも主人公の小説家マントバーニ自身が、どこか嫌な奴かもしれない。最初のノーベル賞受賞スピーチも、しばらくの沈黙の後に大きな拍手こそあったものの、関係者にとってはずいぶん失礼な内容ともいえる。

ブエノス・アイレス空港に迎えに来た男は、最後まで親切だが、愚鈍で太っている。幼馴染の市長はスケジュールを一杯に組んでいるが、3回連続の講演会の最終日には人はまばら。一番の親友のアントニオは、かつて自分とつきあっていたイレーネと結婚していたという事実を知る。

絵画コンクールの審査で地元の美術団体の代表に脅されたり、体の不自由な子供への寄付を求められたり、小説に出てくるのは自分の父だと主張する男がいたり、ホテルの部屋に若い美女が現れたり。故郷の醜悪さの描き方はほとんどシュールなほどのカリカチュアぶりで、ラテン・アメリカ文学のマジック・リアリズムそのもの。

考えてみたら、主人公も含めて出てくるほとんどの人物に好感が持てない。唯一の例外はイレーネで、主人公が車の運転席にいる2つのシーンがすばらしい。1つは彼女と2人で、もう1つ彼女の夫と2人で。その静かな感動をはさみながらも、謎の美女の正体がわかり、すべては最悪の方に向かう。

ほとんど悪夢のような終わり方かと思ったら、その後に少しはほっとする後日談があるので救われる。それも含めて、文学や映画をどこかメタレベルでシニカルに強烈に描いた秀作だと思う。監督・撮影はアルゼンチンのガストン・ドゥプラットとマリアノ・コーンという未知の2人組だが、実は相当の実力派だ。

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