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2017年8月 6日 (日)

ヌーヴェル・ヴァーグの功罪:その(6)

つい先日、地方の大学の大学院で集中講義をする機会があった。受講生9人のうち映画の専攻はわずか2人で、それも邦画。そして大事なことだが、全員女子であった。そこで、外国映画の基礎的な知識をと考えて、「ヌーヴェル・ヴァーグ」をテーマにすることにした。

昔からヌーヴェル・ヴァーグの映画はたくさん見ているし、授業でも扱っている。しかし、これだけをテーマに半年の講義をしたことはない。今回は月曜から金曜までの朝から夕方まで25時間くらいだから、だいたい半年分になる。

そこで重要な文献や時代背景を解説しながら、時代ごとにDVDを見せていった。多くは一部を見せたが、1日に1本は全編を見ることにした。全部を見る映画は、どの学生も見たことがなく、わかりやすいものを選んだつもり。ところが彼らの評価は散々だった。

クロード・シャブロルの『美しきセルジュ』は、1959年2月、『カイエ・デュ・シネマ』誌出身の監督で最初に公開された長編だ。結核の治療のためにパリから12年ぶりに田舎に帰ったフランソワ(ジャン=クロード・ブリアリ)が、アル中になった旧友のセルジュ(ジェラール・ブラン)に会うという話だ。

セルジュはつきあったイヴォンヌが妊娠したため、勉強を諦めてトラックの運転手をしていたが、朝からワインを飲む。イヴォンヌの妹のマリー(ベルナデット・ラフォン)は、フランソワを誘惑するが、セルジュとも関係があったようだ。

どこにも救いのない田舎のリアルな日常が、セルジュに集約されている。そしてフランソワは何とかセルジュを救おうとする。地方出身者ならば、誰もが心の疼く光景が広がる。

ところが見た女子学生たちは、男性中心の物語だと言う。イヴォンヌは耐えるだけだし、マリーは誰とでも寝る。男だけが苦しみ、助け合う。これはホモセクシュアルではないが、明らかにホモソーシャルではないか。

『ローラ』(1961)はジャック・ドゥミの第一回長編。ナントを舞台に、ロランが幼馴染のセシル(アヌーク・エメ)と15年ぶりに再会するが、彼女はかつてつきあったミシェルの子供と暮らしていたというもの。ロランはセシルを好きになるが、ミシェルは7年ぶりに帰ってくる。

私には、過ぎ行く青春の痛切な思いを描いた傑作だった。彼ら以外の数人も含めたいくつもの人生の交錯もすばらしい。だが学生には、自分勝手な男たちの物語に見える。ロランもミシェルも自分の夢を追い続け、セシルは馬鹿みたいにはしゃいで待つだけ。

確かに、ヌーヴェル・ヴァーグの初期の映画において、男たちは社会に逆らい、自分の夢を追う。そこに運命の女が現れて好きになるが、彼女たちは何も考えず、将来のビジョンもない。そこに悲劇が起こる。

このような映画が出てきて世界中でもてやされたのは、やはり当時の社会がそれを求めていたからだろう。そしてそれから20年たって大学生になった私は、その映画に夢中になった。何ということだ。

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コメント

中学校のころ、おふくろと兄と3人で「荒野の七人」を見に行きました。その後、家の1つのふすまを変えるのでどうしてもいいとのことで、そのふすまに向かって兄と2人でナイフを投げて、結構うまく投げられるようになりました。ジェームスコバーンのように、腕を下げて、右手にナイフ(果物ナイフ)を持ち、右手を下から振り上げるようにして、ナイフを前に投げる。面白かったです。
今見ると、どうなのかな?でも、夢中になるってのは、それですばらしいと思ってます。後で考えると、なんかな?と思うこともあるけど、
尿道を抑えつつ、2分間続けておしっこできた、などと、競ったことも、それなりに。

投稿: jun | 2017年8月 6日 (日) 23時23分

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