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2017年8月 4日 (金)

天皇をめぐる読書:その(2)

『明仁天皇と戦後日本』の後半について書く。「即位後、明仁天皇は皇太子時代にひきつづき、積極的な皇室外交を展開していった」。89年4月に来日した中国の李鵬首相には「近代において不幸な歴史があったことに対して遺憾の意を表します」と述べたという。

これは李鵬首相が語ったことだが、宮内庁は「否定も肯定もしない」とした。つまり、実際に言ったのだろう。翌年の盧泰愚韓国大統領に対しては、さらに突っ込んだ表現となった。「我が国によってもたらされたこの不幸な時期に、貴国の人々が味わわれた苦しみを思い、私は痛惜の念を禁じえません」

これは元朝日新聞の皇室記者・岩井克己氏の本からのまとめだが、「天皇の「お言葉」は、対等の交戦国であるイギリス、アメリカ、日本が攻め入って大きな犠牲を生んだ中国、植民地支配をした韓国、と表現を使い分けている」。

1992年の初の訪中においては「両国の関係の永きにわたる歴史において、我が国が中国国民に対し多大の苦難を与えた不幸な一時期がありました。これは私の深く悲しみとするところであります」。これは外務省内で原案を作成し、最終的には天皇が筆を入れたという。

そして90年の雲仙・普賢岳噴火に始まり、93年の北海道南西沖地震の奥尻島、95年に阪神大震災と「被災地へのお見舞いは、「開かれた皇室」路線の一環と認識されたのである。昭和天皇の時代から天皇制が変わったことを象徴する取り組みとなった」

戦後50年の95年には硫黄島に向かい、「先の大戦では島民の強制疎開、硫黄島での島民を含む二万人近くの日本軍の玉砕、返還までの二十年以上にわたる多くの島民の島を離れての厳しい生活があり、その歴史に深く思いをいたしました」。天皇誕生日には「とりわけ戦争の禍の激しかった土地に思いを寄せていくつもりでいます」。翌年には長崎、広島、沖縄を訪問する。

しかし「開かれた皇室」には保守派からの反発もあり、93年の「美智子皇后バッシング」につながった。これは皇后が倒れて数か月にわたって声が出なくなったこともあり、沈静した。

天皇皇后が激戦地、被災地を訪問したから、何が変わるものではない。しかし、人々に忘れてはいけない記憶をよみがえらせたり、不幸な人々を元気づけることは間違いない。個人的には昔から天皇には興味はないが、彼らのそうした動きの報道を見聞きすると、最近はちょっと心が動かされる。

今週の「朝日」の「てんでんこ」の水俣訪問のくだりもそうだが、時々目頭が熱くなる。自分ながら信じられない。


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