クリスチャン・メッツの話
フランスのクリスチャン・メッツは、映画記号学の巨人として知られる。多くの優秀な弟子を育てたことでも有名だが、日本でたぶん唯一その1人である武田潔さんが、メッツが行ったゼミについて語る会があったので、行ってみた。
武田さんは1977年から79年までと1982年から86年までの2回、計5年半にわたってメッツのゼミに参加し、博士論文を仕上げている。実はその2度目の後半、84年から85年までの1年間は私の留学期間と重なって親しくさせていただいたが、彼が一体何の研究をしていたのか、どんな授業を受けていたのかは、その時は一度も聞かなかった。
メッツは私が大学で映画に関心を持ち始めた1982年頃には、知る人ぞ知る存在だった。『映画と精神分析―想像的シニフィアン』が1981年に出版されており、当時の私はそれを買っていた。ところが読んでもさっぱりわからない。それでもどうにか読み終えた(と思う)。
その後も翻訳は買ったが、最後まで読んでいない。だからメッツについて語ることはできないが、今回話を聞いて驚いたのは、メッツのゼミでの学生に対する態度だった。
参加するかも発表するかもすべて本人次第。発表の中身も長さも全く決まりはなかったという。例えば「この論点に価値がありますか」と聞くと、「それは君が決めることだよ」。ちなみにメッツは最初に会った時から「あなた」ではなく「君」と呼んでいた。それは彼のゼミの参加者みんながそうだった。
あるインタビューでメッツはこう語っているという。「誰しも自分が研究したいと思うことを研究すべきだ」「誰しもが自分で好きでやることしかうまくできない」「ここで欲望や快楽を語ることは贅沢な個人主義を標榜することでは決してなく、それなしでは研究が成り立たず、実行もされないような、客観的な条件なのだ」
同じインタビューで、学生指導について「制度的には、私は博士論文を指導することになっている(「指導する」とは馬鹿げた言葉だ)。実際には、博士論文を執筆中の学生と議論し、必要に応じて文献を紹介し、そして特に、彼らが我々に托している神話的な成果への願望―ある種の「転移」―を、個人的にあまり大きなダメージを与えないようにしつつ、彼ら自身へと十分に「転移」させることが肝要なのだ)」。そして「私は自分自身に過ちを強いていたということを理解するのに25年かかりました」
もちろんこれは博士論文のことで、学部生ではこうは行かないだろう。しかしながら、「研究の自主性」や「研究への欲望」をもっと大事にしてもいいかもしれないと思った。
メッツの信念は「いかなる方法にもそれなりの有効性と限界がある」だったという。あの精緻な理論を繰り広げた巨人からこの言葉が出てくるとは。またしても反省の日々である。
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