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2017年8月14日 (月)

『大正天皇』に考える

原武史著『大正天皇』を読んだ。この本の冒頭にも書かれているが、一般には「大正天皇」の影は薄い。明治天皇と昭和天皇に挟まれた短い時代に生きた病気がちな天皇というイメージだ。そのうえ、幼時から精神状態に問題があったという説もある。

この説の一番有名な逸話は「遠眼鏡事件」。「帝国議会の開院式で、壇上で詔勅を読み上げた天皇が、持っていた詔書をくるくると巻いて、遠眼鏡のようにして議員席を見回したことがあったが、それは天皇がもともと病気で、精神状態に問題があったからだ」

原武史は、これを丸山眞男の文章を引用しながら、「天皇の精神状態を印象づける多分に脚色された風説」として、話を進める。大正天皇と近かった原敬は大正期に日本初の政党内閣を作ったが、1921年に暗殺された。1950年になって公開された『原敬日記』は、大正天皇のイメージをくつがえす記述に満ちているという。

「明治天皇ならば想像すらできないような、椅子にかけながらくつろいで対話ができる、気さくな人間味あふれる天皇(皇太子)であり、時にしっかりした政治的意見を表明する天皇である。大正天皇がしばしば原に漏らした率直な意見の大部分は、明治天皇が一代で築き上げた重々しい「遺産」に対する違和感であった」

この本には大正天皇がいかに明るく楽しい性格だったかを、さまざまな日記や新聞記事などを駆使して見せる。とりわけ皇太子時代の地方巡啓は、さながら日本漫遊記のようだ。彼はたえず知事や校長などに質問を浴びせ、旅行中の写真撮影も許可した。皇族の写真が各地の新聞に載るのは初めてだった。

もちろん各地ではそのために初めて鉄道を作ったり、電気を通したり、迎賓館を造ったりと大騒ぎだったが、国民は熱狂して迎えたようだ。

この部分は本当に楽しいが、天皇になってから体調が悪化する。「側室の子として生まれ、肉親からまともな愛情を受けないまま、病気を繰り返した幼少期。有栖川宮というこの上ない理解者を得て全国を回り、健康が回復するととみに、自由奔放な振る舞いを見せた皇太子時代。そして明治天皇の「遺産」という重圧と闘いながら、次第に病状を悪化させていった天皇時代」

病気が悪化して皇太子に摂政をさせることを天皇に告げた時の天皇の反抗は痛々しい。「天皇は自らの意思に反して、牧野をはじめとする宮内官僚によって強制的に「押し込め」られたというのが私見である」

皇太后は昭和になってからの25年間の多くを亡き天皇に祈りながら過ごした。「皇太子節子の頑なまでの態度に、世間にすっかり定着した大正天皇の評価に対する、静かな、しかし毅然とした抵抗の意思が、さらには昭和という元号を拒まんとする意志が、まぎれもなく現れている」

さらに、昭和天皇がたびたび言及した明治天皇に比して大正天皇について沈黙を保ったことを、「ある種の政治的な判断を読み取ろうとするのは穿った見方だろうか」と「あとがき」に書く。

今頃になって皇室の話は本当に面白くなった。ちなみに「文庫本あとがき」では、大正天皇の「押し込め」という評価が、数年後に書かれた古川隆久著『大正天皇』において批判されているらしい。個人的には社会、文化史的な視点に立つ原氏の見方の方が好きだが。

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