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2017年8月 2日 (水)

天皇をめぐる読書:その(1)

天皇や皇室関係の本を立て続けに読んでいる。きっかけは、私の学生が毎年12月に企画する映画祭のテーマが「映画と天皇」に決まったから。映画はすこしはくわしいが、天皇制そのものについては私も学生同様に何も知らない。

最近は「朝日」の連載「てんでんこ」で、天皇の被災地訪問の歴史が細かに再現されていて、なかなか感動的だ。このような行動はいつから始まったのか疑問だったので、最初に読んだのは川西秀哉著『明仁天皇と戦後日本』。

まず驚いたのは、第1章で書かれる戦後すぐのアメリカ人女性の家庭教師の存在だ。まず1946年に昭和天皇からアメリカの教育使節団に対して、「米国人家庭教師の推薦を依頼した」という。一方GHQ側も同じことを考えていたのでクェーカー教徒であるエリザベス・グレイ・ヴァイニングが選ばれた。

当初は1年の予定が延長され、明仁親王は12歳から17歳までヴァイニングから週に一度個人授業を受けたという。彼女は同時に学習院でも教えている。後にヴァイニングが「永続的な平和の基礎となるべき自由と正義と善意の理想を、成長期にある皇太子殿下に示す絶好の機会がいま眼のまえにあるのだ」と回想しているから、この影響は大きい。

「ヴァイニングが親王への人格教育をするならば、小泉は天皇・君主としてのあり方を教育してゆくことになる」。小泉とは後に慶応の塾長となる経済学者の小泉信三で、「人格者としての天皇(君主)の姿」を説いたという。

18歳になった親王は、52年に立太子の礼を行うと同時期に翌年の欧米14か国の外遊が発表される。「外遊は日本の国際復帰を内外にアピールする機会になり、訪問国も皇太子を新しく転換しようとする「新生日本」の象徴として歓迎した」

「皇太子の清新なイメージと新たに出発する国家のイメージが重なって、独立にともなうナショナリズムの高揚とともに皇太子の存在意義や役割も浮上していたのである。こうした皇太子像が宮内庁・政府、マスメディアの共同歩調によって作り出され浸透していた」。つまりは政府とマスコミが日本のために皇太子を利用した形だ。

第2章の「ミッチー・ブームとその後」もおもしろいが、ここは簡単に言うと、「皇太子・正田美智子の存在、「恋愛結婚」という行動様式は日本国憲法の価値基準や大衆社会において中心的立場にいた都市中間層の論理に適応するものだった」

最近の天皇といえば、被災地の訪問と同時に沖縄やフィリピン、パラオなどの激戦地への訪問がよく知られている。それは1962年に皇太子夫妻の希望でのフィリピンへの旅から始まっている。「当時は戦争の記憶は生々しく、対日賠償をめぐって複雑な感情があった」

沖縄は1972年に日本に復帰し、皇太子夫妻は75年の海洋博に出席する。そこでは火炎瓶を投げられた「ひめゆりの塔事件」もあったが、「沖縄と天皇制と戦争、それらが切っても切り離せないことを彼らは認識し、それを受けて考える必要性を感じたものと思われる」

天皇になってからは、後日書く。しかし、自分が天皇を肯定的にとらえるとは思わなかった。

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