大宅壮一に笑う
大宅壮一は「駅弁大学」や「一億総白痴化」などの造語で知られるし、大宅文庫は雑誌の図書館として有名だ。しかし彼の書いた文章はほとんど読んだことがなかった。今回、必要があって少し読んでみた。
といっても全集などに手を出す勇気はないので、弟子筋にあたる大隈秀夫が大宅の死後に書いた『大宅壮一を読む』を読んだ。これは大宅の代表的な文章を載せて、大隈が解説したものなのでわかりやすい。
自分が今は大学に勤めているので、大学関係は気になる。彼は「女子大イコール幼稚園」という文章を書く。「いったい何が目的でそこへ入るのかというと、どうしても入りたいという意見、いや失礼、女子学生はさておいて、その学資を負担させられる親たちのほうでは「さあ」といったきりすぐ返答できない場合が多い」
今時こんなことを書いたら、ネット炎上だろう。大隈の解説だと、当時は早大教授の暉峻康隆が「女子大生亡国論」を唱え、慶応の池田弥三郎もそれに同調していたという。こういう言いたい放題の時代は羨ましい。現代では女子大は就職が強く、結果として「いい結婚相手」(?)にも会いやすいというが。
大宅自身は東大を中退している。「死肉の肉詰め」という文章ではこう書く。「大学から授かったもののなかでいったい何が、なにほどの量が血となり肉となって現在の自分を構成しているのか。いまさら反問したところで無駄だが、それほど大学教育というものはビタミンを欠いている。いわば「文部省御用達」のいかめしいレッテルをはった死肉の缶詰めを時間で切り売りする所である」
私自身も、さて大学で何を学んだか記憶がない。今の自分が教えていることもそんなものだろうかと考え込む。そうでないつもりだが。「信号待ち」という文章では「日本の教育界の現状は今の交通事情に似ている。道路の許容量よりも交通量が上回っているため、いたるところで交通が渋滞する」「その結果、大学がレジャーと闘争の場となる。いや、闘争もレジャーの一種にすぎない」
彼は大学も学生運動もバカにしていた。一番ドキリとしたのは、「説明不要の絵」。ある実業家の会合に行くと、岡本太郎の絵を前に議論している。説明を求められて、「別に説明は要りませんよ。わたしは松沢病院のすぐ隣に住んでいるんですからね」「松沢病院の患者の中にはこれと同じ絵を描くものが何人もいることを思い出した」
松沢病院とは今もある都立の精神科病院だが、岡本太郎の絵をそこの患者の絵と同一視するのは、恐ろしいほど大胆だ。現在のアウトサイダーアートを考えたら、慧眼の部分はあるけれども。大隈は「大宅は芸術に弱かった。絵画や彫刻、音楽には見向きもしなかった」と説明する。
「フランスからサルトル、カミュなどというニュー・ルックの‟思想”も輸入されているが、これなどは文字通り一部知識人のアクセサリーにしかすぎず、クリスチャン・ディオールのファッション・ショーと大して違いはない」
これなどは怒った大学教授もいるのではないか。人物論について、大宅は大隅に「十のうち七褒めて三けなすのが一番読みやすい」と言ったらしい。今では、そんな辛口は通用しないだろう。大宅の文章を読んでいたら、せめてこのブログはもっと自由にやりたくなった。一度くらい炎上したらおもしろいかも。
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