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2017年9月28日 (木)

やはりホドロフスキーは天才だった

11月18日公開のアレハンドロ・ホドロフスキー監督『エンドレス・ポエトリー』を見た。昔見た『エル・トポ』(1970)は強烈な印象を残したが、今はよく覚えていない。1昨年前に封切られたドキュメンタリー『ホドロフスキーのDUNE』は抜群におもしろかったが、同時に公開された『リアリティのダンス』は見損ねていた。

今回の『エンドレス・ポエトリー』は、『リアリティのダンス』の続編というが、それを見ていなくても十分に楽しめた。映画は、チリのサンティアゴに住みだしたホドロフスキー少年が、家族に反発しながら詩人を目指して成長してゆくさまを描く。

冒頭で老いたホドロフスキー本人が解説を始めると、画面は白黒の書き割りのようになる。そこにはヒトラー似の小人がいたり、無言の人々は紙のお面をかぶっていたリ。そのイメージの豊饒さと重なり合うあやしさは、寺山修司か、鈴木清順か。あるいは太った女や小人の祝祭は、フェリーニか。

少年の母親は、なんとすべての台詞をオペラのように歌う。父親はガルシア・ロルカの詩集を読む息子に「オカマになるぞ」と怒鳴る。それでも青年になったホドロフスキーは、芸術家仲間と付き合いを始める。そして詩人が集う店「カフェ・イリス」へ。

そこで出会った真っ赤な髪の大女の詩人ステラに恋をし、二人は結ばれる。それから従弟の死を経てステラは去っていき、今度は詩人エンリケと出会い、意気投合。エンリケの恋人はインディオの小人だったが、彼女を慰めるうちに関係ができてしまう。

そしてすべてを捨てて、サーカスの道化師となる。そこへ現れた両親は家が焼けたことを告げる。焼けた家の後で青年は踊りだし、「さよなら子供時代」と母のコルセットを飛ばす。そして父親と喧嘩しながらパリ行きの船に乗る。

プレス資料を読んでわかったのだが、父親を演じるのは監督の長男、青年ホドロフスキーは末の息子が演じているという。監督本人も数回出てくる。完全にパーソナルな世界なのに、どの場面にも充満している祝祭的イメージの強度は、普遍的な美の世界へ誘う。

そのうえステラや友人の恋人とのセックスが何とも痛切で胸に迫ってくる。これほどストレートに愛が伝わってくるとは。監督は今年88歳なのに、グザヴィエ・ドランの初期作品のように、自由で若々しい映像を展開したのにも驚く。やはりホドロフスキーは天才だった。

これは東京国際映画祭の「特別招待作品」として上映されるらしい。今年の「特別招待作品」はいよいよ何でもアリの感じ。


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