ベネチアもこれで最後か:その(3)
これまでコンペを中心に作品を見てきて思うのは、世界の今後や未来を見せる映画が多いということだ。レバノンのジアド・ドウエイリ監督の「侮蔑」The Insultは、レバノンに住むパレスチナ人ヤセルとレバノン人でキリスト教徒のトニの小さな喧嘩から始まる騒動を描く。ヤセルはトニを殴ってしまうが、これがはずみで裁判沙汰になる。
互いに弁護士をつけて争うが、ネットで広がって全国的な話題になってしまう。裁判にもアラブ人とパレスチナ人のこれまでの紛争の歴史が出てきて、大統領まで仲裁に入る騒ぎとなる。
後半は法廷劇だが、実は父娘の双方の弁護士の駆け引きもおもしろく、トニとナセルの微妙な心境の変化が巧みに描かれている。近所の喧嘩にも民族の歴史がびっしり詰まっていて、最後まで目を離せない。
そういえば、同じコンペのアイ・ウェイウェイ監督の「放浪する人類」Human Flowでも、レバノンのパレスチナ人の話があった。美術作家として有名な中国出身のアイ・ウェイウェイは、現在ベルリンにスタジオを構える。彼は撮影クルーと共に世界中の難民や国を追われた人々を写して回る。
アフガン、バングラデシュ、フランス、ギリシャ、ドイツ、イラク、イスラエル、イタリア、ケニヤ、メキシコ、トルコなど23か国が出てくる。ときおり監督が写り、話を聞いたり冗談を言ったりするが、どうも安全な場所から見ているようで落ち着かない。コメントをする国連難民事務所やNGOの人たちにも同じものを感じた。
監督がシリアの難民とパスポートを交換しようと提案するシーンなどは、見ていて不愉快になった。ドローンを使った航空撮影など美的に撮っている姿勢もどうかと思う。内容的にはテレビでよく見るものだし、全体としてセレブ芸術家の余技に見えた。
苦しむ人間を撮った映画としては、コンペ外のスペシャル・イベントとして上映されたジャンニ・アメリオの「他人の家」Casa d'altriが心に残った。イタリアのアマトリーチェで起きた地震の1年後を撮ったわずか16分のドキュメンタリーだが、復旧からほど遠い街並みと人々の心の痛手を繊細に見せる。
とりわけ、死んだ家族の写真を持ってあちこちを回る老人の姿が印象に残った。最後に「記憶するだけでは十分でない」という字幕が出てきたが、どんな災害もすぐに忘れ去ってしまう人々への強烈なメッセージだった。巨匠の作品とはいえ、この短編ドキュメンタリーをみんなが注目するようにわざとコンペ作品と同時に上映するという配慮はすばらしい。
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