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2017年9月22日 (金)

『散歩する侵略者』を2度目に見ると

1度見て傑作だと思った映画は、だいたい2度目に見るとさらにおもしろい。ところが黒沢清監督の『散歩する侵略者』はそうではなかった。1度目に感じた驚きや笑いがあまり感じられず、どこかさめた気分で最後まで見ていた。何が起きたのか。

おもしろくなかったわけではない。宇宙人の侵略ものなのに、宇宙船はおろかおよそ派手なセットもアクションもなく、宇宙人が人類の「概念を奪う」という哲学的なコンセプトがそのまま映像化されたかのよう。ある意味での空虚さ、希薄さが全体を覆う。

最初に見た時は純愛に思えた長澤まさみと松田龍平が演じる夫婦の愛は、今度はそうは思えなかった。最後に長澤演じる鳴海が「愛」の概念を奪われた後に、ようやく愛のようなものを感じた。映画全体がこのように逆説的に作られているのでは。

宇宙人のはずの天野(高杉真宙)と立花(恒松佑里)は、今回はただの勘違いの困った中学生か高校生に見えた。彼らの計画する地球侵略は、およそ実現するようには思えない。立花がどんどん警察を殺しても、あくまで夢の世界の嘘のよう。

週刊誌記者を演じる長谷川博己が、唯一リアルに思えた。宇宙人と知り合ってもあまり騒がずに仲良くなり、厚生労働省の役人(笹野高史がおかしい)に騙されたりしながらも、どっちつかずの立場を続ける。たぶん今回私は、彼の立場に近いところで映画を見続けた。

そのほか気になったのは、高杉真宙と満島真之介と東出昌大がずいぶん似ていること。目が大きくて眉毛が濃く、昆虫のような顔をしている。立場は宇宙人、宇宙人に概念を抜かれる引きこもり男、宇宙人をもろともしない牧師とすべて違うが、映画全体には彼らの妙な雰囲気が充満している。

終わりに出てくる「2か月後」のまるで原発事故後の日本のような場面を含めて、もはや宇宙人に半分支配されているような今の日本を、あえてドラマもアクションもなく静かに描くことが黒沢監督の目的だったのかもしれない。2度目に見てそんなことを考えた。前回、今年1番の傑作と書いたのは一応取り消すが、この不穏な映画はやはり必見である。

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