カッセルをさまよう
ベネチアの映画祭の後にパリに数日滞在している間に、ドイツのカッセル・ドクメンタにも足を伸ばした。カッセル・ドクメンタとは、5年に1度開かれる大規模な現代美術展だが、ベネチア・ビエンナーレのように国別のパビリオンも賞制度もなく純粋なテーマ重視のため、少なくともかつてはベネチアよりも重要視されていたと思う。
最初の職場の短期研修で1992年にパリに3ヵ月滞在した時、このドクメンタに行ってみた。パリから夜行列車で行ったのでそれだけで疲れたのに、翌日朝10時から夜の8時まで見た。川俣正の野外インスタレーションがあったはず。
その当時は4年に1度の開催だったが、いつの間にか5年に1度になっていた。今年は14回目だが、とにかく会場数が多い。ベネチア・ビエンナーレも全部見るのは大変だが、こちらはもっと展示数が多い。全部で35会場あり、メインとなるのはフリデリチアヌム美術館、ドクメンタハレ、ノイエ・ガレリー、今回から会場になった旧郵便局のノイエ・ノイエ・ガレリーの4つ。
パリを朝7時過ぎの特急で出て乗り換えのフランクフルトから列車の遅延もあり、着いたのは午後2時前。それから7時くらいまで見て夕食を取り、翌日は午後2時くらいまで見た。これでメインの4会場以外にも大きめの会場を6つ見た。
展覧会の中身よりも一番驚いたのは、会場によっては大きめのトートバッグを預けるように言われたこと。確かに大きいバッグはほかの客には邪魔だし、事故のもと。しかしベネチア・ビエンナーレでは言われたことはない。各会場ごとにクロークを設ければ人手もかかるが、カッセルはどの会場も(隣接の会場は2つに1つ)すべてクローク付きだった。それに会場には併設のカフェが多い。要は観客がゆっくりと見られるように、最大の注意が払われている。
さて展覧会はどうだったかと言えば、キュレーターであるアダム・シムジックがポーランド出身のせいか、ナチスを含む20世紀の歴史をたどるものが多かった。展覧会自体のテーマは「アテネに学ぶ」で、カッセルと同時にアテネでも開催し、同じ作家も多かったようだ。
一番の話題はフリデリチアヌム美術館前のフリードリッヒ広場の「本のパンテオン」。アルゼンチン出身のマルタ・ミヌヒンが古今東西の発禁本を集めて巨大な宮殿を作ったもの。私が行ったのは平日の午後だったが、宮殿の前で発禁本を配っていて、私はマキャベリの『君主論』の(なぜか)スペイン語版をもらった。
全体として、今年のベネチア・ビエンナーレと比べても知らない作家が多い。知っているのはノイエ・ギャラリーのヨゼフ・ボイスのインスタレーションだったが、これはある年のドクメンタで作られてそのまま常設となっているようだ。フリデリチアム美術館ではビル・ヴィオラの映像作品を見たが、これはたぶん森美術館の個展でやったものと同じか。
例年は日本人作家が必ずいるが、今回は見当たらなかった。ヨーロッパよりなセレクションだろう。全体としてはベネチア・ビエンナーレの方が粒ぞろいだった。中にはおもしろい作品もあって写真も撮ったが、今日はここまで。
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