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2017年9月30日 (土)

『汚れたダイヤモンド』再見

去年の6月にパリで見たアルチュール・アラリ監督『汚れたダイヤモンド』を東京で再見した。その時のブログには直訳で「黒いダイヤモンド」として、トッド・ブラウニングのサイレント作品「黒い鳥」と共に紹介していた。パリで見たのはたぶん「ルモンド」で絶賛していたからだと思う。

その絶賛の仕方が変わっていたのを覚えている。今、ネットで読んでみると「最近まれに見る発想が豊かで情熱を掻き立てる『汚れたダイアモンド』が2015年のあらゆる映画祭から落とされて1年以上冷蔵庫に入れられていたというのは、運命のひどい悪戯ではないか」で始まる。

当時行ったある映画関係者のパーティでも、映画監督やプロデューサーの間で「映画祭に落とされた傑作」として話題になっていた。みんなカンヌなどの映画祭には痛い目にあっているので、「ざまあみろ」という感じだった。

このブログでは「意識的なB級としてのフィルムノワール」と書いていたが、今回見て思ったのは、フィルムノワールをなぞるような「B級感覚」が映画祭で落とされた理由なのではと思った。映画祭ではどうしても、新たなスタイルや社会的テーマへの新たなアプローチに目が行きがちだから、玄人好みの渋い映画は目立たない。

話は、ユダヤ人のダイアモンド商の家族をめぐるもの。兄弟の弟は、若い頃にダイアモンドを磨く作業中に事故を起こして左手の指をなくす。その息子が父から聞いたのは、兄は見ていたのに助けてくれなかったというもの。父の死を知った息子は復讐を企てる。冒頭はパリが舞台だが、すぐに舞台はベルギーのアントワープという多言語都市に移る。

それだけで、いかにもな雰囲気がいっぱいだ。さらに死んだ父親は一家から追い出されて、イタリアのプーリアで暮らしていたが、その息子はパリにやってきて、強盗をしながら暮らしているというのだから。映画ではフランス語、オランダ語、ドイツ語、イタリア語が飛び交う。

こうした設定のうまさに加えて、「ダイヤモンド」をテーマに据えるのにぴったりの演出をしているのに気がついた。これは徹底して「目」の映画だった。そもそも最初に大きく瞼が写る。そしてその瞳にダイヤが重なる。

主人公のピエールを演じるニールス・シュネデールは、強盗の下見が専門だ。宅配の業者を装ってトイレを借りる間に、その家の構造のすべてを記憶する。異常なまでの目の力を持つピエールは、アントワープに行っても、ダイヤを磨く職人にその才能を見抜かれる。

とにかくこれが長編第一作とは思えないほどよくできている。この監督は今後確実に有名になると思う。さて再度見に行ったのは、実は友人に頼まれて今日の夕方にユーロスペースで上映後のトークをする羽目になったから。ここに書いていないこともたくさん話すので、よろしく。

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