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2017年9月27日 (水)

帰りの飛行機のポール・オースター

今から20年頃前、ポール・オースターの小説をよく読んだ。仕事で猛烈に忙しかった30代の、一番の心の友だったかもしれない。今回ベネチアに行く前に近所の本屋(かもめブックス!)で見つけたのが、文庫本の『トゥルー・ストーリーズ』。

これをベネチアを出てパリに行ったあたりから読み始めた。パリから東京までの飛行機にはぴったりの内容だった。短いエッセーを集めたものだし、オースターが若い頃に過ごしたフランスの話も多いし。

彼の小説のおもしろさは、作られたような偶然が次々に起こることだが、そもそも実生活に起こるらしく、このエッセー集はまるで「偶然日記」のようだ。もともと私にも偶然が多いので、他人のような気がしない。

『赤いノートブック』という短編の挿話の1つは、1973年に恋人と2人で南仏の山中の屋敷管理を引き受けていた頃の話。金が尽き、食べるものは前年の住人が残したパイ皮だけになった。それを焼き過ぎでフイにした直後に、金持ちの友人が忽然と現れる。何というラッキー。

ここには、知り合いの偶然話も多い。Cというフランスの詩人は、幼い頃自分の父がよその女性と駆け落ちしていなくなった。1980年代後半から90年代にかけてフランスには「ミニテル」というインターネットの先駆けのようなシステムがあったが、大人になったCはそこで父親の住所を見つける。

自分の本を送り、文通を続けたが父は亡くなった。その妻に会いにいくと、父が語っていた話は母から聞いたバージョンと全く逆だった。「Cの人生はいまや二つの人生になった。バージョンAとバージョンB。どちらもが彼の物語なのだ」

Cは自分の元恋人が別の男と作った3歳半の子供を可愛がる。そして義母から自分の父親が去ったのは、3歳半の時だったと知らされる。

『なぜ書くか』という掌編では、自分が幼い頃にニューヨーク・ジャイアンツの熱烈なファンだったことを書く。なかでもウィリー・メイズの大ファンだったが、大リーグの試合に行った帰りに、少年はメイズに出会う。サインをお願いすると快諾してくれたが、自分にも親にもペンがなかったのでサインがもらえなかった。

「その日以来、私はどこへ行くにも鉛筆を持ち歩くようになった」「ポケットに鉛筆があるなら、いつの日かそれを使いたい気持ちに駆られる可能性は大いにある。自分の子供たちに好んで語るとおり、そうやって私は作家になったのである」

まだ全体の1/5くらいしか触れていないが、いい話を書いたので今日はここまで。かつてフランスで流行った「ミニテル」についてはいろいろ思い出もあるので、いつか書きたい。


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