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2017年9月14日 (木)

坂本龍一はヒーローだった

大島渚監督の葬儀の時、坂本龍一は弔辞の冒頭で「あなたは私のヒーローでした」と言った。このことを思い出したのは、11月4日公開の『Ryuichi Sakamoto: Coda』を見た時。これは現在65歳の彼を追ったドキュメンタリーで、ベネチア国際映画祭でワールド・プレミアだった。

最初のあたりに、坂本が東北の被災地でコンサートを開くシーンが写る。彼のピアノにチェロとバイオリンだけで「戦メリ」を弾くのだが、私は思わず涙ぐんでしまった。

1984年夏から85年夏までの一年間をパリで過ごした時、ウォークマンと何本かのカセットテープを持って行った。なぜかその1本が「戦場のメリークリスマス」で、そのどこか東洋的なメロディーは、孤独な日々の大きな慰めとなった。

私が学生だった1980年代、YMO=イエロー・マジック・オーケストラは本当にカッコよかった。中国人のような恰好をして、ロスやロンドンで人気だという話だった。この映画にはその伝説のロス公演の映像もある。痩せた美少年の坂本が「シンセサイザーを使うのは、ピアノではできないことをするため」とさらりと言う。

「すべては「戦メリ」から始まった」と彼は言う。「大島さんがあの様子で映画に出てくれとやって来た時に、僕はなんと「音楽をやらせてもらえるなら」と言ったんです」。デヴィッド・ボウイとの共演シーンが流れ、坂本の音楽が流れる。

そして『ラスト・エンペラー』の出演と音楽。北京の楽団を指揮する坂本の姿と、この映画の印象的なシーンが交互に流れる。それから『シェルタリング・スカイ』。ベルトルッチに録音直前に「冒頭の音楽が気に入らない」と言われて、半日で書いた話。「それが実にいい音楽ができたんです」

1990年代になると、環境問題に関心を深める。1999年の「LIFE」というオペラは私の勤めていた新聞社の企画で、少し手伝った記憶がある。そして9.11があり、北極に行く。『惑星ソラリス』のバッハが最高だと語る現在の白髪の坂本。ニューヨークの自宅で、毎日を作曲をしている。

私の記憶は、『シェルタリング・スカイ』あたりで止まっている。武道館の「LIFE」は見たが、どこかピンと来なかった。それでもこの映画を見ながら、10歳年上の坂本龍一は私のヒーローだったんだ、と思った。ベネチアでも、話している姿をカッコいいと思った。

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