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2017年9月 7日 (木)

ベネチアもこれで最後か:その(5)

現在のベネチア国際映画祭のディレクター、アルベルト・バルベラの映画的趣味は古典的だ。アメリカ、フランスの映画を好み、中南米や中近東とアジアを少し入れる。もちろんイタリアの映画には力を入れる。当然だが、国を超えて似た感じの映画が揃う。

フランスのロベール・ゲディギャンの「別荘」La villaとイタリアのパオロ・ヴィルズィの「レジャー探し」The Leisure Seekerは、ある程度裕福な老人や中年の物語という点でかなり似ていた。

「別荘」は、マルセイユを舞台に最期の迫った父のもとに集まる中年になった子供たちの話。アルマンだけが父のもとに残って、レストランを経営している。アンジェラは有名な舞台女優となり、ジョセフは自分の半分ほどの年の恋人とやってくる。

植物状態の父親のまわりで、3人の過去が蘇る。そこに近所の老夫婦や医師になったその息子、昔からアンジェラを崇拝する若い漁師などがからまって、現在のドラマが進行する。さらに難民の子供まで現れる。この監督らしい辛辣な台詞もあって、見ていて飽きない。

「レジャー探し」はイタリアのヴィルツィ監督がヘレン・ミレンとドナルド・サザーランドを主演にアメリカで撮ったもの。サザーランド演じるジョンは元教師だが、認知症がひどくなっている。ある時彼は、ヘレン・ミレン演じる妻のエラとキャンピングカーで旅に出る。

息子たちは怒って呼び戻そうとするが、応じない。そこで出会うさまざまな人々。ジョンはボケていなくなったりするが、どうにか2人は生きてゆく。エラは過去の写真をスライドにして毎晩上映する。そこで蘇る2人の過去。

共に死に直面した老人を描き、その周囲との葛藤を見せる。そこに彼らの過去がまるで現在のように交錯する。2本とも巧みな演出で、高齢化社会に共通する問題を抉り出す。

フレデリック・ワイズマンの「蔵書票 ニューヨーク公立図書館」EX LIBRIS- The New York Public Libraryは、ニューヨークの誰もが入れることのできる図書館にカメラを入れる。本を読んだり借りたりする従来の機能はあまり写らず、講演会や子供のための教室、語学学校などコミュニティ・センターとしての役割を淡々と見せてゆく。

前作の「ジャクソン・ハイツ」に似ているが、今回は住民運動ではなく、拡張する図書館の役割を館側から見せていくので、前作ほどのドラマはない。ナレーションも解説字幕もなく、ひたすら対象に寄り添うのはいつものワイズマン映画と同じ。

利用者に高齢者がたくさん出てくることもあり、ここに紹介した2作品に似た人間存在の普遍性のようなものが見えてくる。この作品は今年の山形ドキュメンタリー映画祭でも上映される。87歳の彼はベネチアには来たが、日本にもまた来るのだろうか。

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コメント

古賀太様、数年前から毎日ブログをたのしく拝読させていただいている者です。今回のベネチア国際映画祭とは関係ないのですが、ベネチアの Palazzo Grassi で開催されている Damien Hirst の約10年ぶりとなる大規模個展に行かれるご予定はありますでしょうか。普段から映画評と共に美術展の批評を参考にさせていただいております。賛否両論ある作家ですが、ぜひ批評を読んでみたいと思った次第です。ご検討いただければ幸いです。

投稿: 大澤 | 2017年9月 7日 (木) 12時05分

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