ベネチア、パリ
いつ頃からか、ベネチア国際映画祭の後にパリで数泊するようになった。イタリア映画祭の企画準備を始めた1990年末から、2007年にイタリア映画祭から離れるまで、9月初めはだいたいその経路をたどった。
ベネチアに数泊してイタリア映画を中心に映画を見る。それからプロデューサーなどと会って、翌年春の日本のイタリア映画祭の話をする。
それからパリに行って、ポンピドゥー・センターやオルセー美術館の知り合いにあったり、将来の企画の話をしたりする。実施が決まった展覧会の具体的な交渉の時は学芸員や会社の後輩を同行するが、ベネチア後の9月は一人でたいした用事はない。
まだ夏の盛りのベネチア映画祭の喧騒からパリに着くと、こんなにも違うかと驚く。まず空気が硬い。気温も5度くらい低いので、秋が始まっている感じがする。今年はベネチアも涼しかったが、パリは最高気温が20度を切って寒いくらい。
「アンディアーモ」とか「バンビーニ」とかいう高音の多い歌うようなイタリア語からして、低音で「セトレビアン」とか「ジュヴザンプリ」とかボソボソとささやくフランス語とはおよそ違う。同じラテン系とは思えないほど、フランス語はモノトーンに見える。
パリのホテルは、かつては6区のオデオンの近くだった。学芸員とルーヴルやポンピドゥーセンターへ同行した時はそれらに近いホテルに泊まったが、1人の時は映画館やソルボンヌ大学に近い6区が定番だった。
ところが、去年半年パリで過ごしたのは13区だった。単純にシネマテーク・フランセーズと国立図書館に地下鉄で乗り換えなしで行けるところをネットの不動産屋で探したら、見つかったのが13区のそのアパート。ところがこれが個人的には大当たりだった。
高層アパート地区の少し手前の内側で、何と一戸建てまである不思議な界隈だった。観光地は全くないから、旅行者はゼロ。その地区の安くておいしいレストランに慣れると、6区のオデオンあたりのレストランはバカ高くて嫌になった。
だから今回も、13区のかつてのアパート近くのホテルに泊まった。これからもこの近くに泊まるだろう。やはり、50代半ばの半年は大きかった。
付記:本日の日経新聞夕刊に私のベネチア映画祭報告が載る予定。
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