私はイヤミな大学生だった
学生に「先生はどんな大学生でしたか」と聞かれることがある。その時は「イヤミな学生だったと思う」と答える。正確に言えば、「近づきにくい、スノッブで自分勝手な学生」だったのではないか。
とにかく本を読んでいた。評論家だと加藤周一、森有正、林達夫などは全集を持っていたし、辻邦生、中村真一郎、福永武彦、大江健三郎などの仏文系の小説家が好きだった。後半は評論家は山口昌男、中村雄二郎、蓮實重彦、柄谷行人、浅田彰だったか。
友人たちと「現代小説研究会」や「現代哲学研究会」を立ち上げて、大江健三郎の新作小説やミシェル・フーコーの翻訳を読んで、議論していた。5、6人はいたと思う。
大学2年生の後半で専攻を選ぶ時に仏文学に決めた。田舎の大学なので仏文学はあまり人気がなかった。当時フランスと言えば「おそ松くん」に出てくる「イヤミ」のイメージがまだ生きていた。「おフランスでは……」という感じ。そのうえ、1年生から九州日仏学館でフランス人にフランス語を学んでいた。
3年生の後半に「サンケイスカラーシップ」という海外給費留学の試験に通り、4年生の夏から1年間パリに行った。本当に「おフランスでは」になってしまった。
1年生の途中から暇さえあれば、映画を見ていた。当時好きな監督はと聞かれると「鈴木清順、アンドレイ・タルコフスキー、テオ・アンゲロプロス」と答えていた。今思うと、何とスノッブだろう。当時封切りの邦画はバカにしてほとんど見ていない。
そして有名な演劇や音楽の福岡公演にも足を運んだ。ウィーンフィルなどのクラシック、ソニー・ロリンズやMJQなどのジャズ、唐十郎やつかこうへいの演劇から歌舞伎や能や狂言。サザンオールスターズまで行った。ほとんど1人だった。
そのうえ、1度もバイトをしていない。すべて親からもらった金で本を買い、見たいものを見ていた。さすがに服や食べ物の贅沢はしていないが。これはきっとみんなに嫌がられていたに違いない。
もちろんもてなかったが、2年生の時に彼女ができた。しかし私のあまりの身勝手さに離れて行った。本当に孤独だった。当時身につけたはずの「教養」はどこか彼方に行ってしまったが、あの孤独感だけは今でもありありと思い出すことができる。
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