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2017年10月25日 (水)

『あゝ荒野』後篇を見た

やはり止まらなくて『あゝ荒野』後篇を見に行った。結果としては大半の長尺2部ものと同じく、「前篇」の方がおもしろかったと思う。なぜいつも「後篇」にがっかりするだろのか。

古くはベルトルッチの『1900年』(1976)だろうか。好きなのは同じイタリアの『輝ける青春』(2003)。最近だと『ソロモンの偽証』や『64』あたりか。いずれにしても、何とか「終わり」らしく整えようとするからだろうか、最後はいま一つ。とくに『あゝ荒野』は配信もしているので、たえずその先を期待させないといけないこともある。

『あゝ荒野』後篇は、主人公の新次(菅田将暉)が少年院に行くきっかけとなった宿敵の裕二(山田祐貴)と試合をするのが、最大のヤマ場。そこまでで後半の半分超か。その試合は壮絶で、狂犬のような菅田将暉の表情、動作、すべてから目を離せない。

もう1つの山は、アニキと慕っていた10歳上の健二(ヤン・イクチュン)との対決だ。この対決が決まったあたりから、ホモセクシュアルな雰囲気があちこちに溢れてゆく。ジムの土地のオーナーの二代目は、新次を別のジムに移し、「新次さん」と呼んで可愛がる。

新次は前篇の自殺抑止研究会のメンバーだった女性を助けたことがきっかけで仲良くなるが、どうしても好きになることができない。そして裕二と試合をしたいとごねて、トイレに閉じこもる。

その試合には全員が集まる。裕二の母(木村多江)もその恋人(木下あかり)も恋人の母も。新次の父(モロ師岡)まで死にそうになりながらやってくる。遮二無二みんなを揃える感じか。

新宿の路地、高層ビル、学生のデモといった同じショットが何度も繰り返される。試合の時もそこに集まった人々の顔が何度も順番に写る。そしていかにも作り物のような結末。もちろん結末は原作の通りなのかもしれないが、何となく1960年代的というか、『あしたのジョー』みたいというか。

前にも書いたが、主演の2人を始めとして俳優陣がいい。ジムの支配人のユースケ・サンタマリアや雇われコーチのでんでんは、役者として初めていいと思った。でんでんが健二に髪を切ってもらうシーンなんて、本当に自然でいい。

ヤン・イクチュンはこれまでも日本映画に出ているが、これほど全身を使った大役は初めてだろう。もっそりした体にあったボクシングのスタイルもよかった。というわけで、後篇も十分に楽しんだ。

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