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2017年10月28日 (土)

それでも横トリに行く:その(2)

さて、今回の横トリでは何がよかったか。横浜美術館では畠山直哉の写真が一番印象に残ったかもしれない。とりわけ、東北大震災後の陸前高田を360度で撮って円形の会場にぐるりと展示されているものが2つあり、その場に立つと動けなくなってしまう。

その大きな2つの円形を核に、陸前高田の写真とそれ以外の土地の写真を組み合わせて展示している。2種類の写真の違いが、今の日本の状況を浮かび上がらせる。

畠山のように私でも名前を知っているあたりでは、アイ・ウェイウェイやオラファー・エリアソン、マウリツィオ・カテランなどがいたが、その中ではマウリツィオ・カテランの壁に並ぶ何十と言う顔や、小さな人間が壁の上の方に首を括り付けられている姿が印象に残った。

アイ・ウェイウェイはもともとそんなにいいとは思ったことがないが、今回の美術館入口の大きなインスタレーションもピンと来ない。好きなオラファー・エリアソンは、ベネチア・ビエンナーレと同じ作品でがっかり。

木下晋の鉛筆画は前にどこかで見たが、今回も見る者を立ち止まらせる強度を感じた。初めて知る作家では、マーク・フスティニアーニというフィリピン人のインスタレーションがおもしろかった。窓を見るとそこに無限の地下道が見える仕組み。鏡などを使ったものだが、思わす見入ってしまう。

赤レンガ倉庫の方は場所がいいせいか、どの作品もよく見える。一番好きだったのは、アイスランドのラグナル・キャタルソンという作家の映像インスタレーション。異なる部屋でヘッドホンから聞こえる他者の音をたよりに、9人が同じ曲を弾くさまを9つのスクリーンで見せる。それだけなのに、メランコリックな音楽のせいもあっていろいろ考えてしまう。

小西紀之はたぶん初めて見る画家だが、いくつも並ぶ大きな家族像はピカソかベーコンのような破壊力に満ちている。ドイツのクリスチャン・ヤンコフスキーは、ポーランドの重量挙げの選手たちを写した写真や映像を見せるが、なぜかそれがおもしろい。

小沢剛はインドに行った岡倉天心をテーマにした絵を暗闇で並べているが、これまたなぜか尽きせぬ魅力がある。中国のドン・ユアンの祖母の家をテーマにした部屋は何とも懐かしく、アジア的な瞑想へと誘う。

柳幸典の作品だけは開港記念会館にあって、その地下全部を占める巨大なインスタレーション。まるで核実験後の世界のような廃墟に、大きな目玉が光っていたリ、原水爆実験の場所や日時を書いたプレートがあったり、日本国憲法第9条が赤い電光板に写っていたリ。今回のトリエンナーレで、これが一番衝撃的だったかも。

ほかにもBankARTなど関連の展示会場がいくつもあったが、今回は時間切れ。横浜トリエンナーレは11月5日までだが、(自分が関わった第1回を除くと)これまでで一番良かったように思えた。

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