なぜいつも忙しいのか
昔はよく「忙しいでしょう」と聞かれた。そんな時は「いや、遊びみたいなものですから」と意味の分からない返事をしていた。大学に移ってからはさすがに暇そうに見えるのか「忙しいでしょう」とか聞かれないが、心の中では「今も昔も忙しい」
一番の原因はいつも「読むべき本がある」。頼まれた原稿を書くための場合もあれば、授業の準備のためもある。いや、それらの「急ぎの読書」がない時も、いつも何かを読まないと気がすまない。読むというよりも、手元に本がないと気が狂いそうだ。
本を手にして電車に乗り、数ページを読むだけで安心する。実は数ページを読んだ後に10分ほど寝るのが、得意技だったりする。とにかく活字を読むと落ち着く。いや、本を触るだけで気が休まる。逆にスマホを見ると、不安が増す。頭が劣化したような気になる。この「本の貧乏性」はいつ頃から始まったのか。
昔、大学に合格してから病気で一年間休学した。私はその間に古今東西の古典を読んだ。万葉集も漱石もドストエフスキーも。日本の古典は、高価な岩波の「古典文学大系」を買っていたから、今考えるとすごい。
当たり前だが、読む本は無限にある。古典だけならまだいいが、話題の小説とか評論とか。いつ頃からか映画に狂いだしたので、いよいよ時間がなくなった。本を持って映画館に行き、始まるまで読んでいた。映画もまた本と同じく無限にある。ちょうど大学の終わり頃にビデオが出始めて、過去の映画を簡単に見られるようになったから、たまらない。
就職したら、美術関係の仕事が多くなった。だから美術展を見て、美術書を読む。映画、本、展覧会とキリがない。就職して30年を超すから、いわゆる仕事以外はずっとそんな生活をしていた。
だから、私には趣味がない。というか、趣味の暇がない。車を持たず、魚釣りに行かず、ダンスも楽器もやらない。スポーツは何もせず、観戦もしない。カラオケにもいかない。テレビも見ない。音楽も今は聞かない。楽しみは、友人と酒を飲み、うまいものを食べるくらいか。
この10年ほどで少し変わったのは、前よりも見たい映画を見て好きな本を読むことだろうか。今さら将来(?)のために、読む「べき」本はないし見る「べき」映画はない。なんとなく関心が沸いたものに、自然に向かうようになった。
最後は、映画より本だと思う。半分耄碌しながら、読みもしない難しい本を抱えた老人になるのではないか。
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