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2017年11月20日 (月)

「1968年」展に酔う:続き

佐倉の「1968年」展があまりにおもしろかったので、続きを書く。「べ平連」でおもしろかったのは、この運動が「関西的発想」と解説してあったこと。確かに中心となった小田実、開高健、鶴見俊輔、桑原武夫はみな関西と縁が深い。

このことは当時の朝日新聞に載っていて(その新聞が展示してある)、小田実は「関西の発想と行動」に「自発性、多様性、非組織、非権力、議論より行動、物や観念より人間や感情の尊重、遊びの精神とゆとり」があるという。

この展覧会では第1部のうち第2章は「神戸の街から」になっている。1968年以降、サンチカ=三宮地下街は、異議申し立てを行う高校生や大学生であふれる解放空間となったという。「べ平連こうべ」の旗が展示されているが、女子高生が作ったものだった。

1970年に日本で初めてできた情報誌「月刊プレイガイド」創刊号の展示もあったが、これは神戸大の学生が始めたらしい。説明はなかったが、これが翌年の大阪の「プレイガイド・ジャーナル」になるはず。東京の「ぴあ」創刊はさらに翌年の72年。

三里塚と水俣は私にとってはそれぞれ小川紳介と土本典昭のドキュメンタリーで学んでいたから、新しいものはない。ただ、芝山で集合を呼びかけるために使われたドラム缶や反対同盟のはちまきなどは、存在感があった。

水俣に関しては昭和20年に描かれた工場の詳細な見取り図に見入った。多くのビラがあったが、「患者さん 会社を粉砕して水俣に何が残るというのですか!」という反対運動を諫めるビラが心に残った。運動の中心となった患者に送られたいやがらせ葉書もあった。

第1部の最後の第5章の「横浜新貨物線反対運動」は初めて聞いた。鶴見―戸塚間の住宅地の真ん中に13.7キロの貨物線を通すもので、1966年から計画が始まった。ここにも多くのビラがあるが、長い闘争の果てに、1980年に貨物線の営業が始まった。

「土地収用法粉砕」「強制測量反対」などのビラは三里塚と同じ。団結小屋までできたが、機動隊によって撤去されたのも全く同じだ。こうした各地の運動に関して、おもしろい表があった。1973年には全国で1927の住民運動団体があったという。まさに反逆の時代だった。

全共闘は第2部なので、これについてもう一度だけ書く。それにしても私が小学生だった頃は、そんな時代だったとは改めて驚く。

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小川伸介 × ⇒ 小川紳介 ○

投稿: | 2017年11月20日 (月) 08時13分

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