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2017年11月24日 (金)

写真に漂う平成の空気感

「平成」という時代が苦手だ。その前の輝かしく華やかな70年代や80年代に比べると、バブル崩壊とか失われた20年とかでロクなことはなかった気がする。そんなことを考えたのは東京都写真美術館で2つの展覧会を見たから。

ともに11月26日までの「長島有里枝展」とコレクション展の「シンクロニシティ」。どちらも平成になって撮られた写真が並んでいて、どちらからも同じような匂いというか空気を感じた。

「長島展」は「そしてひとつまみの皮肉と、愛を少々。」という副題がついている。自分や家族の写真に始まって、普通の人々の何気ない写真。前半はヌードもあるが、あえて美しくない日常を見せている感じ。1973年生まれだから今は40代半ばだが、中年になった自分や夫も見せる。

何もいいことはないが、それなりに幸せな普通の人々といった感じ。真ん中にいくつもの古着を縫い合わせたテントがあった。その意味はよくわからないが、楽しそうではある。

「シンクロニシティ」は「平成をスクロールする」として、所蔵作品から17人の写真家の作品を展示している。こちらは有名なところでは蜷川実花や都築響一もいて、何でもありという感じ。それでも共通しているのは、政治性、社会性のなさだろう。

貧しい人や虐げられた人はどこにもいない。あえてボケた幻影のような写真だけを並べた浜田諒が典型だが、いずれも視覚の不思議や心の揺らぎを表すような、内的な写真が多い。

そんななかでは少しでも政治性があると際立つ。米田知子は靖国神社や広島や福島の人々や風景を見せる。そこには政治的な主張はないが、張り詰めた空気が何かを伝えている。

北野謙は天安門の衛兵や台北のコミケに来た若者たちを何十人も撮影し、それを重ね合わせる。そこから全体に共通するある雰囲気が立ち上がる。それは日本よりも緊張した、強い何かだ。

自己主張をせず、自らの日常を優しく見つめ、世の中に文句を言わない平成日本の生き方が全体から伝わってくる。私はそんな時代は嫌いだけど。

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