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2017年11月 6日 (月)

『〈女帝〉の日本史』に考える

原武史氏の新刊『〈女帝〉の日本史』を読んだ。実は彼の『皇后考』を読もうとだいぶ前に買っているが、あまりに分厚くて読む勇気がない。そこで同じような内容に見える新書を先に読んだ。

冒頭に現代の日本における女性の政治参加が遅れていることが書かれている。今年7月の調査で女性議員の割合は193ヵ国中164位という。これが72位の中国や117位の韓国よりも低い。

だからこれは東アジアに特有の儒教の影響ではなく、日本の天皇制が平安時代以降父系性が強まり、女性の政治参加をしにくくしたのではないか、というのが筆者の仮説だ。

「中国や朝鮮では、古くから父系性が根付いた半面、20世紀初頭に革命や併合により君主制が廃止される直前まで、「母」に当たる皇太后や大妃などが大きな権力の臨調称制や垂簾聴政の構造が保たれました。このことが、女性は政治に介入すべきでないとする儒教の政治的影響を和らげ、女性の政治参加を広げるうえで有利に作用しているように見えなくもありません」

これは終章に書かれた結論部分だが、この本では古代日本には男女ともに天皇になる双系制があり、「父系性に移行してからも、年長者の女性が権力を持つ時代が断続的にあったこと」を丹念に記述している。

例えば「七世紀から八世紀にかけての日本では、女性の天皇が六人誕生しています。また、女性のほうが長生きする傾向にあったため、……一度退位した後のもう一度即位(重祚)した女帝もいます。このため人数は六人でも、代数で言えば八代になります」

これは遣唐使を送って、中国では武則天という女帝が誕生していることを報告したことによるという。女帝の光明天皇や孝謙天皇は武則天を見習って、慈善活動を進めたというから、中国の影響は絶大だったのだろう。

ところが孝謙天皇は僧の道鏡を重用して批判される。これは武則天が妖僧を寵愛したのと同じ。孝謙天皇は称徳天皇として再度即位し、女性を重用するが、その後は江戸時代まで女性天皇はいない。これは孝謙・称徳天皇が武則天と同じく「性豪」という見方が確立し、女性天皇を避けるようになったのではという。

「性豪」は一般的には男性の方が多い気がするが、「女が権力を持つと性豪になる」というのは男性社会が作り上げたイメージなのだろう。それにしても中国の「垂簾聴政」という言葉はすごい。すだれの向うにいる女帝に政治のお伺いを立てる様子が目に浮かぶような熟語だ。

最後には、現在の皇后が「母」が「祈る」主体になったことを取り上げ、「女性により多くの負担がかかる宮中のしきたりがいまなお一般に知られることなく維持されたまま、皇后美智子によって代表されるような、良妻賢母的で国民に温かい慈愛を注ぐ「母」としての女性像が広く賞賛されているわけです」

確かに美智子さまは、その姿を見るだけで私は涙が出そうになる。これも作られたイメージなのだけれど。

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