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2017年11月30日 (木)

『春に散る』を単行本で読む:続き

ちょっと恥ずかしいが、『春に散る』のどこに泣いたかを書き留めておきたい。まず一番は、40年ぶりに4人の元ボクサーが一つの家に集まるシーン。主人公の広岡は住んでいたアパートで刑務所から出所した藤原を待ち受けて、そこから多摩川沿いの一軒家へ向かう。

彼らは一軒家に行く前に不動産屋に寄るが、帰り際に藤原は近くで慌ててコロッケを買う。「なるほど、揚げ立てのコロッケなどというものは刑務所では食べられないもののひとつだったろう」

一軒家に落ち着くと、翌日の夕方に「妙な節をつけたようなクラクションの音が響き渡った」。すると山形の田舎にいたはずのサセケンこと佐瀬がポンコツ軽トラックでやってきて、助手席には妻に死に別れて横浜に住むキッズこと星がいた。

彼らは大きなテーブルにつく。「まったく気がつかなかったが、四十年ぶりのこの神代楡のテーブルでも、四人は無意識のうちにまったく同じ座り方をしていたのだ」。彼らは「あの頃」という言葉を使う。星は言う。「あの頃と言って、何の注釈もなく通じ合える相手がいるというのは、実はとても幸せなことなんだ」

確かに自分のことを考えても、「あの頃」という言葉を使いたい相手はそう多くない。それを使う相手は記憶を共有していて、顔を見るだけで今でも嬉しい。

その次に好きな場面は、4人が焼き鳥屋で20代の4人の若者に絡まれて、外に出て喧嘩になるシーン。若者たちはボクシングの心得があったが、4人は攻めてくる彼らを巧みにかわして、それぞれの得意技で一撃で倒す。

ここまでが上巻で、下巻はどうしてもおもしろさが落ちる。広岡に立ち向かって倒された若者・翔吾は、4人の家にやってきて「教えてくれ」という。それから4人のコーチが始まり、しまいには一緒に住んで世界チャンピオンになる。

そのうえ、チャンピオンの試合直前に翔吾は網膜裂孔が判明し、試合には勝つが引退を余儀なくされる。そして主人公の広岡は最後に心臓麻痺で倒れる。

ここまで自分で書きながら、何という茶番かと我ながら思う。それでも私は「あの頃」という言葉の甘美な幸福感をこれからも反芻するだろう。さて、私にとっても「あの頃」はいつだろうか。


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