« 証明写真に考える | トップページ | 「1968年」展に酔う:続き »

2017年11月19日 (日)

原節子の戦中映画2本

原節子が戦時中にプロパガンダ映画に何本も出ていたことは知られているが、私は『ハワイ・マレー沖海戦』(42)以外はたぶん見ていない。フィルムセンターの「逝ける映画人を偲んで 2015-2016」の「原節子選集」に行ってみた。

見たのは、今井正監督『怒りの海』(44)と佐伯清監督『北の三人』(45)という戦争末期の2本。『北の3人』に至っては45年8月5日封切りで、戦中最後の映画という。

『怒りの海』の今井正監督は、戦後は『青い山脈』など民主主義映画の騎手だが、戦意高揚映画を何本も撮っている。この作品は海軍の設計局を描いたもので、大河内伝次郎演じる平賀局長が主人公。大正から昭和に至るロンドン、ワシントンの軍縮会議で日本は作った戦艦を自ら沈没させられる。

平賀を中心とした設計局員たちは、創意工夫で何とかその制限を乗り越えて新しい駆逐艦や巡洋艦を作ろうとする。映画は平賀が24時間設計のことだけを考えて新たなアイデアを出してゆく日々を描くが、アクションはなく「悩む日々」が中心でいささか退屈する。

原節子は平賀の娘役だが、妻役の村田知英子と共に「銃後の守り」をする。原は夕食の準備を手伝いピアノを弾き、父をコンサートに誘うお嬢さんであくまで脇役。

戦後黒澤映画で活躍する志村喬が、局員の1人で坊主頭で出てくるが、既に味のある表情を見せている。平賀局長は退職後東大教授となり、総長となって死ぬまで学生を鼓舞する。架空の話だろうが、海軍の高潔さを歌い上げる。

ところが『北の3人』では、原節子は女性通信士として、高峰秀子、山根壽子と共に主役を演じる。原は青森飛行場の通信士で高峰の乗る飛行機の不時着を巧みに誘導する。高峰は青森で急性肺炎になった男性通信士(田中春男!)の代理で、初めて機上通信を担当して北海飛行場で通信を担当する山根と連絡を取り合う。

だから最初のうち、原の表情は硬く、「お嬢さん」は封じられている。ところが青森で高峰と会ったとたんに「お嬢さん」言葉が出てくる。2人の間には、死んだ高峰の兄が原を好きだったことからわだかまりもあったが、それも解消する。翌朝高峰は、経験のない機上通信を自ら名乗り出て成し遂げる。

3人とも制服姿で戦時の通信を立派に成し遂げる。戦争中に女性がこれほど軍の表舞台で活躍している日本映画は、これまで見たことがなかった気がする。アメリカでは女性も兵士として活躍しているというセリフがあったが、その影響もあるのかもしれない。

高峰の乗る飛行機の機長は藤田進、青森飛行場の所長は志村喬と東宝の「顔」が揃っている。72分の映画だが41分しかなかったが話は十分通じるので、戦中上映用にエッセンスだけを選んだ短縮版を作っていたのだろう。キャストにある佐分利信の場面は削られている。戦時中の原節子映画をもっと見たいが、なぜか土日には上映がないこともあって、なかなか時間がない。

|

« 証明写真に考える | トップページ | 「1968年」展に酔う:続き »

映画」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/537538/66056780

この記事へのトラックバック一覧です: 原節子の戦中映画2本:

« 証明写真に考える | トップページ | 「1968年」展に酔う:続き »