年末年始の人々
年末年始に出会う人々は、顔が違う。家の近所でも繁華街でも。ふだんは会社員とかOLとかフリーランスとかそれぞれの仕事の匂いをさせている人々が、一挙に日常の顔を見せる。
大勢の会社員やOLを見るのは好きではないが、みんな同じに見えるので気にならない。自分を殺してある同じモードで生きているのだろうなと思う。週末でさえもそれを引きずっているのかあまり気にならないが、年末となると一挙に「地肌」が見える。
まずラフな格好をするが、だいたい多くの成人男性は背広以外のファッションに慣れていないので、おかしなことになる。ゴルフ場みたいだったり、スポーツ選手みたいだったり、ユニクロ的な全国一律の普段着だったり。
そうでなくても、家族といると不思議な雰囲気を生み出す。「こんな子供は大変だろうな」「なんであんなに不細工な男がこんな女性に」「お母さんと仲悪そうだな」「ああ、だんなが家族に嫌われているな」「あの家族は苦労が多そうだ」「なんであんなに幸せそうなのか」
すべては妄想である。大きなお世話に違いない。しかしいつもに比べたらずいぶん生活の「匂い」が濃くなるのは事実。夏休みと違って大半の人々が同じ数日を休むので、その濃度があちこちに充満する。スーパーや百貨店に行ったら、本当にキョロキョロしてしまう。
人間はかくも醜かったのか。そう思い始めると、どの家族もヘンだ。一人一人は普通でも、その組み合わせの具合や互いの会話や動きが奇妙に思えてくる。
そんな時は自分のことを忘れているが、一人でみんなの顔や動作を順繰りに眺めている中年男性は、もっとヘンかもしれない。きっと若いお母さんが恐れる「危ない中年」に違いない。だからせめて年末年始は少しはオシャレをしようと思っているが。
こんなくだらないことを考えながら、今年ももうすぐ年が明ける。やはり日本の年末年始は独特の空気がある。
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