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2017年12月27日 (水)

チェコのヌーヴェルヴァーグを見る:続き

ヴラーチルの『鳩』(1960)があまりにおもしろかったので、最終日にもう一度フィルムセンターに行った。見たのは、ヤン・ニェメツの『夜のダイアモンド』(64)とヴィエラ・ヘチローヴァの中編2本『天井』(63)と『袋いっぱいの蚤』(63)。

この3本は『鳩』ほどの衝撃はなかったが、それでも十分に見る価値があった。『夜のダイアモンド』は当時日本でも公開されたようで、日本語ポスターが展示されていた。

映画は、強制収容所へ向かう列車から脱走した2人の若者の彷徨を、回想や幻想を交えながら見せる。最初に必死で走る2人をカメラは追いかける。ドイツ語の「止まれ」という声や列車の音、銃の音。相当走った後に列車の音は聞こえなくなる。

彼らは走りながら、列車で運ばれている場面やずっと前に娘と遊んでいる場面を思い出す。知らない中年女性の家でパンをもらうシーンが挟み込まれるが、これは夢か現実か。パンを食べるが吐き出し、ミルクをもらいに行く。

中盤くらいからドイツの中年男たちが出てくる。彼らは田舎の自警団のようで、森に行って銃を持って脱走者を探す。とうとう2人を見つけて家に連れてくる。楽しそうに食事をする自警団の男たち。2人の回想や夢が挟み込まれる。彼らを撃つ銃の音が聞こえて2人は倒れているが、次には森の中を逃げる2人が写る。

追いかけられている強迫観念を映像にしたかったのだろうか。2人は逃げたのかどうか。見終わっても幻影が渦巻いていた。終わってから、台詞がほとんどなかったことに気づいた。

ヘチローヴァの2本は、ともに若い女性を追いかけたセミドキュメンタリー。『天井』は医大生からモデルに転身した女性の華やかな生活と憂鬱な内面を描く。パーティばかりの毎日で、いつでも男性が寄ってくる。結局大学生とはうまくいかずカメラマンの男と寝るが、それも嫌になる。

スター女性の孤独を描いたものだが、彼女が見るパーティや学食や撮影現場の何とも淋しい感じが印象に残る。アニエス・ヴァルダの『5時から7時までのクレオ』(62)にかなりタッチが似ているのは、当時世界的にも数少ない女性監督だったからか。

『袋いっぱいの蚤』は、工場で勤める若い娘の群れを、寮生活を中心に描く。『天井』と違って彼らは毎日を楽しんでいるが、工場をやめて大学に行きたいと思う。なかでも煙草を吸ったヤナは工場の年上の仲間に攻めまれる。みんなが時おりカメラを見て話しかけるのが実に新鮮。

この2本を見て、1960年代前半のプラハの若者は実に楽しそうに見えた。いったい社会主義国は本当に抑圧が多かったのだろうか。

チェコのヌーヴェルヴァーグは日本ではワイダなどで有名なポーランドに比べてあまり知られていないが、相当おもしろい映画が揃っている。

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コメント

確かにヴラーチルの「マルケータ・ラザロヴァー」「アデルハイト」「鳩」の造形の大胆さ・触感の得難い温もりは圧倒的で、ニェメツの諸作がそれに続いでいたと思いますが、残念なのは終盤に至るまで会場がガラガラで、時間が許せばこの貴重なプログラムをもっともっと観たかった私などは
歯がゆい思いをし続けていた今回の催しでした。そんななか、佐藤忠男さんのお姿を何回かお見かけして、この戦後文化を導き続けた先人の衰えぬ探求心に襟をただしました。

投稿: 瀬古誠治 | 2018年1月 1日 (月) 08時15分

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