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2017年12月22日 (金)

『あのころ、早稲田で』を読みながら

中野翠さんの新作エッセー『あのころ、早稲田で』を読んだ。どこかの書評で紹介されていたからだが、本屋で手に取っていい感じの表紙だった。この著者の映画評論はいつも気にしている。アカデミックではなく、感覚的に鋭いから。

とりわけ彼女の『小津ごのみ』は、服装から分析した小津論でずいぶん楽しんだ。今回の本は彼女が早稲田大学にいた4年間について思い出しながら語っている。

いまさら驚いたのは1946年生まれということで、私よりも15も上だ。写真や文章の感じから7つか8つくらい上かと思っていた。従って早稲田には1965年入学で69年卒業。これは早稲田に関しては大きい。1965年には学費値上げ反対闘争があり、68年には日本中の大学で大学闘争が起こった。

中野さんの文章は、あらゆる政治性や党派性を感じさせない。すべてを「好き、嫌い」で感覚的に切る。その感じを表しているのは「8の字のように」という文章だろう。「非常事態の大学と平常そのものの家庭。その二つの世界を、毎日毎日、まるで8の字を描くように往還していた」「仕方ない、私は当分、このハンパさの中で生きるしかないんだ、8の字のように二つの世界を行きつ戻りつする中で生きてゆくしかないんだ、と思った」

それでも彼女は早稲田に入学したらすぐに「社研」=社会科学研究会に入って、最後まで続けている。社研はどこの大学でも左翼学生の巣窟だが、彼女は高校3年生の時に柴田翔の小説『されどわれらが日々――』を読んだからという。それを最近読み返したら「心に響くものはほとんどなかった」と書くのも彼女らしい。

そこには「社研ノート」があって、部室の壁にぶら下がっていたという。そのうち67年の半年分が今も残っていて、最近になって彼女のもとに送られてきた。開けてみると「私が一番多く書いている。Nというイニシャルで。チラッと読みだしてすぐに赤面。あぶら汗まで浮かんでいる。まったくもって「若気の至り」。甘ったれた自己憐憫と尊大な自意識の垂れ流し」

この時に公開された大島渚の『日本春歌考』に関して「ともかくも大島渚はただの政治屋から革命家になる道を掘り当てたといえるのではないでしょうか」と書いていたらしく、その自分を「うんぬんとエラソーに」と茶化す。

これを読んだら、私も大学一年生の時にクラスみんなで文集を出したことを思い出した。そんなものが出てきたら本当に困る。それにしても中野さんはよく大学の4年間のことを覚えている。特に友人の記憶がすごいし、今もつながっている。

この本については、当時彼女が何を読み、何に影響されたかなど極めて興味深いのでもう一度書きたい。それにしても大学のことを少しでも思い出すと、あぶら汗が出てくる。

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