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2018年1月27日 (土)

『リメイク映画の創造力』を読む

北村匡平、志村三代子編の新刊『リメイク映画の創造力』を読んだ。通常、この種の学者たちによる共著はあまりおもしろくない。おおむね、大学の先生が自分の教え子の非常勤講師を集めて作ったような本が多かった。

ところがこの本は全く違う。まず筆者が若い。本に年齢は記されていないが、私の知る限り全員30代から40代のはず。学閥は関係なく、まさに新進気鋭の映画史家が揃っている。編者を含む8人の筆者のうち、女性が半分いるのも(当たり前だが)いい。収録された文章を1本でも読めばわかるが、各筆者がそれぞれのテーマに応じて古今東西の映画史と最近の内外の映画研究を駆使しながら精緻な分析を試みている。

「「リメイク映画」に関しては映画研究の領域でほとんど注目されてこなかった、2000年頃にいたるまで、「リメイク映画」について書かれたものは、大多数がジャーナリスティックで圧倒的にネガティブな論調だったのである」「日本映画史におけるリメイクについては皆無と言っていいほど学術的研究が進んでいない」

序文で編者の北村匡平は書く。たぶんリメイクは作る側の映画ビジネス上の戦略か、前作や原作と比べていい悪いを言うファンレベルの言葉しかなかったのだろう。彼によれば、最近になって英語圏でアカデミックな研究が生まれているようだ。

この本で改めて知ったのが、例えば『シン・ゴジラ』は「リメイク」ではない、ということ。巻末の東宝の市川南プロデューサーも明言しているが(このような業界人のインタビューが学者の本に出てくることもすばらしい)、「あれは「ゴジラ」というフランチャイズ、日本の言葉でいうとシリーズ…、今の映画業界の監修としてはリメイクとは呼びません」

つまり「フランチャイズ」や「シリーズ」、あるいは「翻案(アダプテーション)」や「リブート」はリメイクではない。ところがこの本はまさにそれら全部を扱う。「メディアミックスが常態化した現代の映像文化のなかで、このような多層化される「リメイク」を間メディア的な受容経験からも捉えなければならない」(北村)

だからこの本には、北村の『沈黙』の原作と映画化された篠田版とスコセッシ版の比較や、もう1人の編者の志村三代子による『野火』の原作と市川版と塚本晋也版の比較研究がある。スコセッシ版も塚本版も厳密にはリメイクではないが、この2つの細かな比較からはそれぞれの作家や監督の世界観や芸術観の違いがくっきりと浮かび上がる。

この本には、ほかに小川佐和子による初期日本映画における外国映画のリメイク、木下千花の50年代溝口のリメイク、渡辺大輔の小津『浮雲物語』と『浮雲』、鷲谷花の黒澤明のリメイク、川崎公平の怪談映画のリメイクに、前述の市川氏と塚本監督へのインタビュー。

個人的には木下千花と鷲谷花の文章に一番感銘を受けたが、これについては(たぶん)後日書く。


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