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2018年1月 5日 (金)

正月に見る熊谷守一

年末年始は家に籠って年賀状を書いたり、親戚の家に行ったり呼んだりして酒を飲む。その合間に原稿を書いたり、授業の準備をしたり。そんな日々の運動不足の解消のために見に行ったのが、東京国立近代美術館で3月21日まで開催の「熊谷守一展」。

実は沖田修一監督の5月公開の新作『モリのいる場所』のチラシを見たら、この画家の晩年を描いたものだとわかって気になっていた。それまでは名前は聞いたことがある程度だったが。

展覧会の副題は「生きるよろこび」だが、まさにそんな感じの正月にふさわしいおめでたい絵が並んでいた。1880年生まれで最初は暗い写実の絵に始まって、だんだんタッチが荒くなる。ドランなどのフォービスム風になって、次男が死んだ時の絵などは顔の周りに赤や白が溢れている。

裸婦も風景も荒っぽく描き、だんだんと輪郭を赤で縁取るようになる。1945年あたりからその絵はどんどん簡略化されてゆき、記号に近づく。マティスの《ジャズ》と同じようなスピリットで、輪郭線を軽やかに描いてその中を一色で見せる。最後にはイラスト画のようになる。

この画家の評価があまり高くないのは、最後はデザインに近づいたからではないだろうか。三越の包装紙をデザインした猪熊弦一郎ほどではないにしても、画家の中には色や形のシンプルさを追求してデザインになってしまう天才がいる。

それにしても1960年頃からの猫や果物や虫や風景などの単純さは神業に近い。最後に並んだ太陽や月の絵を見た時は、気が狂いそうな気がした。この画家は97歳で亡くなっているが、2年前に書いた「いつまでも生きていたい」という恐るべき言葉もそこに添えられていた。

小さな絵ばかりだったことも含めて、「芸術」をめざさずにほとんど自由気ままに描いていたのではないだろうか。すべてがエッセーのように見えた。

彼の絵を見て思い出したのは、12月17日まで東急文化村ザ・ミュージアムで開催していた「オットー・ネーベル展」。クレーやカンディンスキーに近かった画家だが、彼の絵もだんだんデザインに近づいている。都市を色の組み合わせで見せたり、絵の中で音が躍っているような感じだったり。

熊谷守一もそうだが、見ていて「気持ちのいい」絵を描く画家は今一つ美術史的な評価が低いような気がする。

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