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2018年1月 1日 (月)

学閥も地縁も血縁もなく

最近気づいたことだが、大学教員には父親も同じ職業だった人が多い。ある教員とほかの大学で教える共通の友人について話していたら、「彼のお父さんは私の父の東大の後輩だから、小さい時から知っていたんです」と言われた。そんな時は、「毛並み」がいいなあ、と思ってしまう。

昔勤めた政府系機関にも新聞社にも、親子二代やそれに近い同僚がいた。小さい頃から親の姿を見てそれを尊敬して同じ仕事に就くことができたら、それは幸せなことだろう。そのうえ、それに近づくための生き方もわかるだろうし、コネのようなものもあるかも。

大学の教員で言えば、何より本に囲まれた生活、文化的な環境で育つことは大きいだろう。そこで育つ知性は、たぶんそうでない子供とは厚みが違う。私の家系には、いわゆる知的な職業に就いている人はあまりいない。小さい頃から私だけが本好きだった。

今教えているのは、昔から芸術系の実作を中心に教えている珍しい学部だ。だから就職でも先生や先輩を頼るケースが多い。あるいは同期の友人が映画監督として有名になると、カメラマンやプロデューサーも一緒に世に出る場合もある。ところが私自身は地方の大学出身ということもあって、大学の人脈が役だったことは一度もない。

あえて言えば、たった1年だけ行った早稲田の大学院の先生や先輩、同級生とは今でも連絡がある。実際に仕事で関係もある。もし大学も同じだったら、もっとそういう関係が深かったのでは。

今時は「県人会」はないのかもしれないが、生まれた地域の縁というのも仕事のうえでは一度もない。高校はそれなりの進学校だったが、病気で3年生はあまり行かなかったこともあって、同級生との縁も浅い。数人と年賀状のやり取りだけ。大学に至ってはそれもほぼない。

福岡の大学を出て24歳で東京に来て、一年大学院に行ってから中退して就職した。それから何とか30年近く働いている。職場が嫌になったことはあるが、何とか続けてきた。とはいえ、2回転職した。これまた偶然の産物。

たぶん多くの人は私と同じく一切の「人脈」のないところから仕事を見つけていると思う。ただ学者の仕事に関しては、「もっとこういう環境だったら」と思わないこともない。ピエール・ブルデューの言う「文化資本」や「社会関係資本」である。ただ、日本はこうした「ディスタンクション」=区別、階級差が強くない社会でよかった。

田舎から手ぶらでやって来て、60近くになっても東京で楽しく生きていけるだけでも「ええほうじゃよ」(『東京物語』)と思う今年の正月である。

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