『ロシア革命100年の謎』の謎
亀山郁夫と沼野充義の両氏による対談を新書にした『ロシア革命100年の謎』を読んだ。知り合いがフェイスブックで紹介していたからだが、久しぶりに完全に理解を超えた謎の本を読んだ気がした。
何しろ出てくる名前を1割くらいしか知らない。小説家も詩人も哲学者も聞いたことのない名前が続々と出てくる。最初すぐに読むのをやめようかと思ったが、時々どきりとするような言葉が出てくるので分厚い新書を何とか流し読みした。
亀山郁夫氏は、何といってもドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』の新訳で有名になった。その勢いではないだろうが東京外大の学長になり、今は名古屋外国語大学の学長らしい。
沼野充義氏は東大教授だが、1992年の「レンフィルム祭」の時にお世話になった。ロシア・東欧文学の広範な知識が、アレクセイ・ゲルマンを始めとした来日したロシアのインテリ監督を魅了していたのを思い出す。
この本を読み続けようという気になったのは、最初の方にあった「ロシアの自負」の話。「自分たちは、最新のテクノロジーを生み出すことはできないが、それとは別のレベルで人類の未来に貢献できるという、ちょっと得体の知れない自負」(亀山)
亀山はこのメンタリティーを一種の「霊性」とし、それはロシア語にあるという。「ロシア語の単語を発するという行為を通じて、ロシア人は一種の霊性のなかに入って行く。発語そのものが儀礼的な意味を帯びているのですね」
こうなると神秘主義に近くてロシア語ができないとわからないかと思うが、「レンフィルム祭」の時に来日したゲルマンやアレクサンドル・ソクーロフのわけのわからない自信を思い出すと妙に納得がいく。
1910年代からのロシア・アヴァンギャルドについては、「ロシアでは原始主義と未来派が両輪で走っているという感覚は、ロシア未来派をイタリア未来派から分けるところでもあります」「大地への回帰、さらに昔の異教的なものへの回帰みたいなものが、フレーブニコフにはあります」(沼野)
フレーブニコフという詩人さえも名前しか知らないが、1913年にパリで衝撃を起こしたストラヴィンスキーの『春の祭典』とニジンスキーの振り付けによるロシアバレエ団を考えると、「原始主義」はわかる気もする。
そもそもこの2人によれば、アヴァンギャルドは西洋語で、ロシアではモダニズムとかスプレマティスムとか構成主義とか言うらしい。
とにかく読んでいて、ロシアとは「田舎者の馬鹿力」だと思った。後半に出てくるカバコフのインスタレーションを考えるとピンときた。とりあえず、今日はここまで。
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