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2018年1月13日 (土)

裏方から表へ出てみると

長い間、裏方だった。何となく文化に関わる仕事がしたいと思って就いた職業が、今風に言うとコーディネーター業だった。最初に勤めた政府機関で先輩からよく言われたのが、「君たちは専門家になる必要はないんだ。専門家との人脈があればいい」

自分を映画の専門家だと思い込んでいた私は、かなり失望した。先輩が佐藤忠男さんとか高階秀爾さんとかにホイホイ電話してアドバイスをもらっているのを横目で見て、「何と失礼な奴らか」と思った。今考えてみたら、佐藤さんたちは海外の映画祭や国際会議に行ったりする時に世話になるので、そのくらいのサービスはしていたのだろう。

何をやるにも、内容に関しては自分では一切決めてはならず、「専門家」1人または数人に聞いて決めていた。なかには美術館の元学芸員や美術史の博士号を持つ先輩もいたが、彼らを除くと、職員は「素人」に徹することが原則だった。

新しい企画をやる時は、かならず「委員会」が必要で、あえて言えばその委員を選ぶことに知性を発揮するしかなかった。あるいは企画そのものを立ち上げることが一番の仕事だったのかもしれない。

そんな時、前にここに書いたように北海道の美術館学芸員の話があった時は、「専門家」になれる機会を前に本当に迷った。もし都内や近郊の美術館なら確実に行っていて、今もどこかの学芸員だろう。

その後新聞社の文化事業部に移っても、コーディネーター業は同じだった。もちろん記者が署名記事を書く会社なので、自分で決めていい範囲は広がった。展覧会や映画祭の中身をおおむね決めた後に、「専門家」に相談してカタログに原稿をいただくこともあった。

映画祭なら自分もカタログに文章を書くことが増えた。それでも「記者」から見たら、完全に「裏方」だと思っていた。だから人前で話す機会はなく、宴会の挨拶さえも苦手だった。

大学に移ってすぐに映画館でのトークの仕事がいくつか来た。ところがあんまりヘタだったのか、注文が来なくなった。最近になってまた来るようになった。新聞などのコメントまで来る。年末に「朝日」の文化部から来た時には驚いた。

大学教師も今年で10年前に入るが、表に出ている感じが今でも怖い。あれほどなりたかった「専門家」の顔をしているが、やはり自分には「裏方」の気分が染みついている。今日午後、高崎で講演をするので、こんなことを考えた。

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