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2018年1月25日 (木)

剣道ノスタルジア

実は、剣道二段である。これを言うとまずウケる。あの武具をつけた窮屈そうな決まりだらけの武道を、いつも減らず口ばかり叩いている私がやっていたようには、とても見えないからだろう。

柔道は見ればどっちが勝ったか誰でもわかるが、剣道は素人にはわからない。頭に竹刀が当たればいいというものではない。それだけ約束事を前提とした武道である。

小学校3年生の時、父親が近くで剣道の道場を開いていた河野先生に勝手に教えてくれと頼み、習うことになった。最初は1つ下の従弟と2人だったが、次第に父親の知り合いの子供や私の同級生なども加わった。町の中央公民館で毎晩6時から、1時間ほど習っていたと思う。

人口2万人ほどの小さな町だったが、6つ小学校があり、それぞれの地区に剣道場があった。年に一度、小学校対抗の大会まであった。

もともと私は運動神経は鈍かった。走るのは遅く、泳ぐのは苦手で、ソフトボールも投げては飛ばず、バットには球が当たらない。ところが剣道はそれらとはあまり関係がなかった。小学校レベルだと、少し頭を働かせたら勝つことができた。

つまり、相手に「メン」が打ちやすいぞと見せかけて、相手が大きく振りかぶってきたら右によけて「ドウ」を叩くといった具合。相手を乗せて騙すセコイやり方だったが、そのコツをつかんだ私はどんどん強くなった。

当時の私は勉強は大嫌いのガキ大将で、剣道だけを一生懸命にやっていた。剣道の持つマッチョな「オラオラ気質」も身について、学校ではいじめっ子になった。

小学校6年生の夏休みに、町の代表として東京の全国大会に行くというイベントがあった。6月ごろの町内大会で補欠1名を含む6人のメンバーが選ばれた。私は5位になって辛うじて選ばれたが、その時ほど嬉しかったことはその後の人生でもたぶんない。

何より、東京に行くことができるということが大きかった。費用はたぶんそれぞれの親が払っていたはずだが、そんなことは考えもしなかった。私が習っていた河野先生は町全体でも重鎮だったので、7月になると1週間ほど先生の家に6人が合宿した。すべてが楽しかった。

そして8月のお盆前に東京に行った。まず、夜の9時頃、大牟田駅で万歳三唱に見送られながら夜行列車に乗った。たしか金大中氏事件が起きた夏だから、1973年のことである。その頃にまるで『キューポラのある街』のような駅の万歳三唱があったとは。続きは後日。

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コメント

そうでしたか、初めて知りました。
続きを楽しみにしておきます、
忘れないように!

投稿: 木下 | 2018年1月28日 (日) 15時04分

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