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2018年2月24日 (土)

「映画は社会問題問う道具」か

一か月ほど前の「朝日」朝刊文化面に『デトロイト』のキャサリン・ビグロー監督へのインタビューがあった。それへのコメントのような形で、石飛記者が日本の映画は「政治的主題とは無縁」と書いていたのが妙に気になっていた。本当にそうだろうか。

この記事で『デトロイト』と共に挙げられているのが、アカデミー賞ノミネートのスピルバーグ監督『ペンタゴン・ペーパーズ』。こちらは見ていないが、題名からして自国の政治に切り込んでいそう。

石飛記者は「邦画にも、かつては山本薩夫監督の「金環蝕」「不毛地帯」など、政治の裏側を赤裸々に描いたエンタテインメント大作が存在した」と書く。でも、それは今も昔もそれは少数派なのではないか。

去年の映画でも『彼女の人生は間違いじゃない』は、震災後の東北の姿を克明に描いていたし、『バンコクナイツ』はバンコクに住む日本人たちの姿を告発していた。それは「エンタテインメント大作」ではないと言えば確かにそうだが。

あるいは3月10日公開の原一男監督のドキュメンタリー『ニッポン国VS泉南石綿村』は、題名が示す通り現在の日本の政治に正面から疑問を呈している。

確かに山本薩夫の映画はエンタメだけれど、私はむしろ彼の映画に匂う日本共産党的な教条主義が当時の左翼にとってのエンタメになっている気がして苦手だ。日本の映画史で政治的な映画を撮ってきたのは、まず大島渚と今村昌平だろう。

そこに『実録・連合赤軍 あさま山荘への道程』の若松孝二や『ゆきゆきて、神軍』の原一男が続く。その次の世代だと『血と骨』や『月はどっちに出ている』の崔洋一や『KT』や『闇の子供たち』の阪本順治か。

単発の作品として記憶にあるのは森崎東の『生きているうちが花なのよ 死んだらそれまでよ党宣言』とか、深作欣二の『軍旗はためく下に』とか、山田洋次の『家族』とか。

イエール大学のアーロン・ジェロー教授は、「日本では、テレビ局からの出資が映画から政治性を失わせています」とコメントを寄せているが、日本映画はテレビの出資が始まるずっと前から大半は非政治的で時おり反逆者がいたくらいのような気がする。

日本文化は構成力に弱く、抽象度が低く、政治性がない。あくまで日常の細部を描く。加藤周一がこうしたことを書いていたことを思い出した。そうだとしたら、文化の問題でなかなか解決法はない。

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