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2018年2月13日 (火)

柳澤寿男のドキュメンタリーを初めて見る

柳澤寿男のドキュメンタリーはこれまで山形の映画祭やアテネ・フランセで上映されていたが、今回シネマヴェーラで初めて見た。『甘えることは許されない』(75)と短編3本だったが、なかなかおもしろかった。

柳澤は1916年の生まれだから、世代的には亀井文夫と土本典昭や小川紳介の中間に当たる。長い間岩波映画や日本映画社などが製作する企業PR映画を撮り、50歳を過ぎてから自主制作で「福祉映画5部作」を撮っている。

『甘えることは許されない』はその1本で、仙台市の西多賀ワークキャンパスの障害者たちを2年間追いかけたもの。彼らの行動は厳しく制限されており、外出も外泊も原則禁止で、異性との交際も認められていない。それでも印刷をしたり、ゼンマイを加工したり、必死で働く。

数名は全国の施設を視察したりして、建設予定の福祉工場に夢を託すが、市役所は一切相談せずに工場を作ってしまう。それでも抗議する者はいない(庶務課長が無言で退職するが)。交際禁止でも自然に仲良くなった男女数組は結婚をし、新しい使いにくい住宅に移り、新工場で何とか働き始める。

ここには土本や小川の映画のように抵抗する者、戦う者は出てこない。必死で日常を生きる人々を淡々と追いかけるだけ。ラスト20分、朝の着替えに2時間をかける小林君のシーンが圧巻だ。車椅子から倒れるようにベッドに移り、そこでシャツやズボンを着て、再び車椅子へ移る。

数分にも及ぶ長いショットが続く。障害者の日常のリアルが、見る者に身体的にじっくりと伝わってくる。結局、これが見せたかったのだろう。

『飛騨のかな山』(49年、26分)は、飛騨神岡鉱業のPR映画で、神岡鉱山がいかにモダンで進んでいるかを描く。街角には『哀愁』や『恐るべき親達』の映画ポスターも見えた。最後に「1個の鉱石が世界の文明につながる美しい姿である」という言葉もある。6年後にここにイタイイタイ病が出てくるとは全く想像できないが、それゆえに貴重な1本。

『産業と電力』(53年、22分)は、水力と火力の発電所から来る電気と、工場や民間への送電を調節する中央送電指令所を描く。雨が降っただけで電気の使用が増えて夕方停電になるような、まさに自転車操業の現場を臨場感一杯に描いている。「だから原発が必要なのだ」といいたげな映画だが、原発事故後の現在から見ると、これまた何とも皮肉でこれまた貴重な映像だ。

『ロダン』(62年、22分)はレネのゴッホやゲルニカの映画を真似したようだが、退屈だった。時間があれば、この監督の福祉映画もPR映画ももう少し見たい。

付記:さっそく漢字の間違いを指摘いただき、訂正しました。

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コメント

土本典明 × ⇒ 典昭 ○
小川伸介 × ⇒ 紳介 ○

投稿: | 2018年2月13日 (火) 08時01分

>「だから原発が必要なのだ」といいたげな映画だが、原発事故後の現在から見ると、これまた何とも皮肉でこれまた貴重な映像だ。

とおっしゃいますが,これは1953年の映画です.
世界初の原子力発電所ができたのはいつですか?
映画の中で「原子力」なんて一言も言っていなかったと思います.
私には,この映画は,豊富な水始原をもっと有効活用することを訴えているように見えました.

投稿: やざき | 2018年2月13日 (火) 15時06分

前に少しは観て共感した筈だったが、療育という言葉すら覚えていず、空き時間で鮮明さ欠くDVDで幾本かを観てみると、映画を超え、心が洗われる体験となった。これらの映画をくぐり抜けることで世界がちがってみえてくる。企業内時の名残の、端正さ、叙情性、寄り添う姿勢、が足枷となり、小川やワイズマンの様な迷いをも引き入れる力には欠けてても、人間の数だけの息づかい・関係性へのたじろぎを含めた無条件の許容の美しさは、並走の価値あり。

投稿: 瀬古誠治 | 2018年2月14日 (水) 12時32分

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