『港町』の新境地
4月公開の想田和弘監督『港町』を試写で見た。現在開催中のベルリン映画祭にも出品している。監督自身が名付けた「観察映画」の第7弾で、ナレーションなし音楽なしで、対象と話しながら「観察」をする映画だが、今回は新境地に達している気がした。
これまでは同じ対象を丹念に追いかけていたが、この映画は少し違う。「牛窓」という瀬戸内海の港町の中で、老いた漁師ワイちゃんを追いかけていると思うと、カメラは彼が魚を運ぶ市場のセリを捉え始め、そこに買いに来た魚屋の女性を写す。それから魚屋の客を見せ始め、その一人が猫のえさをもらっていくのを追いかける。
野良猫にわざわざ調理した魚のアラを食べさせる夫婦の話かと思うと、そこを通る墓参りの中年女性を追って高台の墓地に行く。港に戻ると冒頭から時々出てきた老女クミさんが、自分の人生を語りだす。それを見ている歩行困難な中年女性。クミさんに別の墓場に連れて行かれても話は終わらない。
都会から見たら忘れ去られたような風景の中で、それぞれの存在とその動きが小さな意味を持つ。魚を釣り、網から外し、市場に出す。それをセリで買って調理をして売る。自宅の店舗だけではなく、車に積んであちこちに待つ中年女性たちに売る。
自分たちの魚を買って、同時にアラをもらい、丁寧に調理して冷ご飯と混ぜてノラ猫に食べさせる。近所の批判も多いという。そういえば、この映画は人間と同じくらいの猫が出てくる。みんなが猫を可愛がる。猫にとっては天国ではないか。
この監督の映画としては、今回初めて全体がモノクロで描かれている。描く対象が自由自在に変わることも含めて、見た後には夢の中の散歩だった気もしてくる。都会に住んでいて海外にはよく行くくせに、こんな日本の小さな港町も知らない自分が滑稽に見えてきた。そんなことを考えさせる映画で、白黒122分はちっとも長くない。
何より、クミさんの毒舌が忘れられない。
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