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2018年2月 1日 (木)

剣道ノスタルジア:続き

小学6年生の剣道少年だった私は全国大会へ出ることになった。大牟田で乗った夜行列車は福岡を過ぎて翌朝に広島に着いた。そこで当時は広島まで来ていた新幹線に乗り変えた。朝ご飯が千円の駅弁だったことを覚えている。みんなで「高いばってん、たいしたことなかね」と言いながら、食べた。

新幹線はもちろん初めてでとにかく嬉しかった。広島駅や車内で撮った写真もある。そして午後に東京駅に着いた。それからタクシーに乗って、永田町の「全国町村会館」へ。

実はこの建物は今でも同じ場所にある。その時から10年数後に働き始めた頃、職場が麹町でタクシーでその前を通った時に、はっと気がついた。小ぶりの10Fほどでもちろん建て替わっているが、同じ感じは残っていた。部屋に着いた我々はすることがないので、屋上で東京タワーや国会議事堂を見た。社会党本部が近かったことを覚えている。

その日の夜にどこで何を食べたか覚えていない。覚えているのは、翌朝タクシーで九段の日本武道館に行ったこと。そして試合が午後だったので、500円のサンドイッチとジュースを与えられて、場所がなくて立ったまま食べたこと。

試合は予選リーグで負けた。たぶん2回試合して1敗1分だったと思うがよく覚えていない。団体戦だが、自分はたぶん2回とも負けた。それから全国町村会館に戻って、また屋上に行った。

それからまた記憶にないが、覚えているのは翌朝に東京駅から「はとバス」に乗ったこと。今でも小津の『東京物語』や成瀬の『稲妻』の「はとバス」を見るとその時を思い出す。行った記憶があるのは、東京タワーと皇居前広場。皇居前で写真を撮った後に弁当を食べたのではなかったか。

それから夕方までは自由行動だった。父親はみんなと別れて東京駅からタクシーに乗った。「日本橋へ」「三越の前を右」「ここで結構」と慣れた感じだった。降りてあちこちを見回すと、ある雑居ビルに「古賀商店」という小さな看板があった。

かつて父親が経営していた「古賀商店」は、東京事務所を持っていた。年に2回くらい出張していたが、石炭不況で小学校2年生の時に倒産していた。だが、看板だけは残っていた。父親が得意そうに「ほらほら」と見上げていたのを覚えている。

残念なのは、その時写真を撮らなかったこと。父親も動揺していたので忘れたのだろう。福岡に帰ってから母親に「なんで写真のなかと?」と言われた。東京駅で新幹線に乗って、広島で夜行に乗り換えて翌日福岡へ。車中2泊と東京2泊の東京旅行は、そうして終わった。自宅に帰った私は、大学は東京に行こうと決めた(が、実際は行かなかった)。

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コメント

中学の1つ下の後輩です。
朝日新聞での寄稿を拝見して以来ブログを楽しませていただいてます。
私も小学校まで剣道をやっていたので今回懐かしく読ませていただきました。

投稿: たにがわ | 2018年2月 2日 (金) 21時24分

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