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2018年2月10日 (土)

南方熊楠の驚異的生涯

上野の国立科学博物館に「南方熊楠」展を見に行って「アンデス文明展」を見た話はここに書いた。もちろんその後に熊楠展も見たが、小ぶりの展覧会なのに迫力は満点だった。

南方熊楠(みなかたくまぐす)という名前は、私の世代にとっては神話的な力を持つ。昔好きだった荒俣宏がよく触れていたし、中沢新一編の著作集も出ていて、そのうち1巻は買っている(途中までしか読んでいない)。彼を主人公にした映画制作の話もあった(頓挫したが)。

今回は「南方熊楠生誕150周年記念展」と銘打ち、「100年早かった智の人」というキャッチが使われている。彼が生まれたのは1967年(慶応3年)で、何と夏目漱石と同じ。漱石は1900年9月、33歳の時に文部省からロンドンに派遣されたが、熊楠は同じ9月に英国から帰国の途についている。漱石より「早かった」人だ。

彼は英国に行く前に、まず1884(明治17)年に大学予備門に入る。漱石や正岡子規は同級生。ところが2年もたたないうちに、予備門を中退し、86年に渡米する。予備門を辞めた理由は、代数で落第点を取ったからとか、頭痛やてんかんがあったからとも言われる。

熊楠は「商売の勉強のため」と父親を説得して19歳でサンフランシスコに着き、商業学校に通いだす。そこからミシガン州立農学校に移り、さらにその後フロリダやキューバで植物を調査する。彼は幼いころから『和漢三才図絵』などの江戸時代の百科事典が大好きだったという。

ミシガン州立農学校では、アメリカ人学生との対立や飲酒事件を起こして辞めた。そして92年、25歳でニューヨークからロンドンに渡る。翌年には大英博物館の入館を許され、その図書館で博物学の資料を読み漁る。その資料をノートに抜き書きした「ロンドン抜書」は52冊に及び、それをもとに「ネイーチャー」誌に投稿を始める。

「ネイチャー」は小保方さん論文の掲載で話題になったが、そんな昔からあったとは。「ネイチャー」に載った熊楠論文は、「動物の保護色に対する中国人の先駆的発見」とか「蛭の知能」とか「虫に刺されることによる後天的免疫」とか50を超す。いまならノーベル賞かも。

ところが父が亡くなり学費の送金が途絶えて、1900年に33歳で帰国する。それからは故郷の和歌山に住んで、隠花植物や変形菌の研究に没頭する。驚くべきは29年、62歳の時に南紀行幸中の昭和天皇に進講の機会を得たこと。その時のフロックコートと蝶ネクタイの写真もあった。

そして41年に74歳で亡くなる。いったいどうやって食べていたのだろうか。日本でも雑誌に膨大な記事を載せているが、それで生活が成り立ったのか。

その生涯があまりに興味深いので、彼の研究には触れる余裕がなくなったが、この展覧会は3月4日までで、会場では30ページの小冊子を無料で配布している(今日の文章はそれを見ながら書いた)。620円でこの展覧会のほか、恐竜を始めとした広大な常設展が見られる。必見。

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