大学改革は間違っていたのか:その(1)
一応フェイスブックもやっているのは、時々ビックリするような情報がはいるから。最近では読売新聞のネットをリンクしている友人がいて、「国立大学法人化は失敗だ」という題の京大の山極寿一学長へのインタビューが載っているのを読んでのけぞった。
リンクを張ったので読めばわかるが、山際氏は国立大学協会の会長でもある。つまり日本の国立大学が集まる団体のトップが、文科省による2004年からの大学の独立行政法人化は間違いだったというのだから、これは文科省もビックリではないか。
「文科省と国立大学が一体となって取り組んできた教育研究の質の向上を切り離し、単なる財政問題として処理した。国の財政が悪化している。その責任を法人化して各大学法人に押しつけたのだ。はっきり「失敗」だと認めてもらわないと、これからの大学改革はできない」
「法人化以来、運営費交付金を削減し、一方で競争的資金を打ち立てるから、研究者はその獲得競争に邁進して、実際の研究時間を減らしている」「旧ソ連がやっていた計画経済、その失敗例と同じことしているわけだ」
結局文科省がやった日本の大学改革は旧ソ連の計画経済並みだったのか。前にもここで少し書いたと思うが、最近の「スーパーグローバル」に認定された37の大学の1つに勤める友人は、毎年この時期になると国際シンポジウムをしないといけない。大学ごとに何十億円もついているので、各学部に割り当てられた分を使うのが大変だという。
「競争的資金」は、各大学への交付金を一律に減らして優秀な大学、研究者に配るもの。まずそのための申請の事務量がハンパではない。さらに予算はついたものの、多くの場合は使う人ではない人が申請しているので、何も聞いていないのに突然多額の予算の消化に苦労することに。
そもそも国立大学の授業料がこんなに上がったのは、「競争的資金」を増やして交付金を減らしたからではないか。そのしわ寄せは、一般の大学生に重くのしかかっている。
山際氏のインタビューにある年表を見ると、1991年の「大学設置基準の大綱化」から始まっている。この時から高校と大学をつなぐ「教養学部」がなくなり、学科名は「国際情報学部」のような何をするのかわからない学科が増えた。
結局、それから25年の文科省(当時は文部省)の打ちだした大学改革は、すべて失敗だったのではないか。今は、それを考え直す時期に来ているのではないか。個人的にはそんな感じがしていた。それを京大学長が言ったから、驚いた。まだ大学に自由はある。
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