暗澹たる読書:その(3)『記者襲撃』
樋田毅著『記者襲撃』を読んだが、最近ここに書いた2冊以上に暗澹たる気分になった。なぜならこの本は、30年間の取材(というより捜査)の後の結論がなくて、希望のないままで終わるから。
副題が「赤報隊事件30年目の真実」と書いても、わからない人が多いかもしれない。私は朝日新聞社に17年ほど勤めたので、それが1987年5月3日に朝日新聞阪神支局が襲撃されて小尻知博記者が射殺された事件であることは知っている。
この本は、その後30年間この事件を追い続けた記者の記録だ。朝日にいた頃は、私はこの事件をまるで「聖なる犠牲」のように語る雰囲気が苦手で、あえて遠ざかっていたから実はよく知らないことばかり。
樋田氏はこの事件の専従取材記者だった時も含めて、30年間事件の取材を続けてきた。「私の書斎には、取材ファイル、メモ類だけで約三〇〇冊。東京・大阪の社会部と神戸総局・阪神支局には、その数倍の取材ノートが眠っている。一連の事件の取材に関わった朝日新聞の記者は全国で数百人に達すると思う」
「私は朝日新聞取材襲撃事件の取材のため、この三〇年間に約三〇〇人の右翼活動家に会ってきた」。この本にはその右翼たちへの取材が、実名または仮名で書かれている。読みながらこの男が犯人かと何度も思うが、最終的な証拠を握れない。
取材のためには「一緒に六本木のディスコに行き、朝まで踊ったこともある」「結婚式や近親者の葬式にも出席した」「岐阜の新右翼とは居酒屋で杯を重ねるうち、「あんたが気に入った。キスをしよう」と突然言われ、キスを迫られたこともある。いや、正直に話そう。私は腹をくくって、そのキスを受けた」
読んで一番怪しいと思うのは、「ある宗教団体の影」。この本ではα教会、その関連団体としてのα連合として書かれるが、もちろん統一教会、勝共連合のこと。かつて朝日新聞は、この団体が反社会的存在だというキャンペーンを張っていた。当時のその団体からの抗議活動が書かれているが、彼らの文章が襲撃事件の時に出された声明文の調子に近い。
この本には、朝日新聞にとって不名誉なことまで書かれている。N編集委員がα教会から定期的に現金を受け取っていたこと、α教会のだしているα日報の社長や編集局長が、朝日の広報担当役員や編集局次長と2度も会食をしていたこと、社内の取材報告書のコピーを警視庁に渡したこと(これは「取材源の秘匿」という原則に反する)など。
とにかく、この筆者はすべてを書いた。そして何も解決していない。これほど暗澹たる気持ちになることはない。樋田氏には私は面識はないが、本のカバーに印刷された顔には見覚えがある。いや、こんなうらめしいような顔をした社会部記者は社内に何人もいた気がする。
| 固定リンク
「書籍・雑誌」カテゴリの記事
- 『目まいのする散歩』を読んで(2024.11.01)
- イスタンブール残像:その(5)(2024.10.06)
- イスタンブール残像:その(4)(2024.10.02)
- イスタンブール残像:その(3)(2024.09.26)
- イスタンブール残像:その(2)(2024.09.24)
コメント